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2006/12/31

2007年亥年です

 あけましておめでとうございます。
 総務省統計局平成18年12月31日公表のデータによりますと亥年生まれの人口は1,063万人(平成19年1月1日推計)人口比8.3%,男女別にみると男性517万人、女性546万人で女性が29万人多くなっている。亥年生まれの人口を出生年別に見ると昭和22年生まれが225万人(平成19年度中に60歳になる人いわゆる団塊世代))と最も多く平成7年生まれ(12歳)が118万人となっている。十二支別にみると丑年生まれが最も多く1,102万人最も少ないのが午年の1,021万人となっている。(平成19年生まれの亥年は含まれてません)

 話は変わって年とともに夢を見ることが少なくなった、まして初夢なんてのはいつ見たのかそれすら記憶にない。
 たまたま乗った飛行機の窓からくっきりと富士山が見え、うまく写真に納めることが出来た。何度も関空↔羽田往復しているが富士山がこんなにはっきり見えたのは初めてだ、と言うことで初夢の話です。
①富士山

②これも石垣島へ行った折、美崎町の公園で

③こうなれば当然ナスビ
1.富士 2.鷹 3.ナスビ。
 これは日本の3大仇討ちを言う言葉で、これをお正月初夢に見ると縁起が良いということです。良い初夢を見られる事を期待して居ります。

「富士」は富士の裾野での巻狩りの日の仇討ち(蘇我兄弟の仇討ち)
「鷹」は播州赤穂浅野家の紋が違い鷹の羽です(忠臣蔵)
「ナスビ」は荒木又右衛門による伊賀越えの仇討ちです。(鍵屋の辻において)寛永11年11月7日のことです。伊賀はナスビの産地です。
以上が日本3大仇討ちと言われてます。
注1.②の写真は冠鷲です、悪しからず。八重山民謡の鷲ぬ鳥節でも歌われている。絶滅危惧IA類(環境省レッドリスト)
注2.1.2.3.は
「歌舞伎のお話」からの出典です

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2006/12/28

たまには足下を2(加太友が島)

淡島神社・・・人形供養の神社として有名で、境内には供養のため納められた無数の雛人形や市松人形ほかいろんな人形が所狭しと並べられ、初めて見るとドッキとさせられる異様な雰囲気が醸し出されている。
最近は人形のほかにぬいぐるみ等も納められ増える一方で供養の名目での不法投棄も増えているとか。
  
  
友が島・・・由良要塞として明治政府が紀淡海峡防衛のため砲台を築造。手つかずの自然が今も残っており野生の鹿やリスや雉が顔を覗かせたりと野趣に富んだ所です。この間までは友が島汽船が加太と友が島を結んでいましたが2006年11月末で廃業してしまい行く術がなくなってしまった。
  
行けなくなると余計行きたくなるものですね。第2砲台と第3砲台の遺構?です。多分第二次世界大戦の折にも使われたのでしょうね。
  
  
 島のある場所が紀淡海峡の風の通り道となっておりその周辺の木々は風の方向に流れて成長している。人為的にやろうと思っても難しいが自然の力は大きい。そう言えばハワイ島にもこれのスケールの大きなのがサウスポイントに行く途中にあった。
友が島灯台(初点燈は明治5年と結構古い。建造後上記由良要塞のため場所を移動させられたとか)

夏のシーズンに渡航が出来る事を期待したい。シーズンだけ運行されるか否かは皆さんの声次第、詳細は「加太観光協会」に訪ねて見ては如何?
朗報です!2007/3/1から再開される予定と市報に掲載されていた。また友が島に行けますよ。

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2006/12/24

串本(本州4端協議会のうち最南端)2  

 冬だが風が無ければ結構暖かい。
  
 まだこの地ではハイビスカスが咲いてます。何処でもと言うわけではありませんが。

 冬場和歌山市辺りと比較して気温は+2℃~と言われても風のある日は和歌山より体感温度は低い感じが。何故って串本は砂州の上に出来た町ゆえ東西が海で風が吹き抜ける構造となっている。その代わり風が無ければ結構暖かく少し歩けば汗ばむ事もあります(個人差がありますが)。

 夏となると浜風のため気温はそれほど高くはないが湿度が高く逆に体感温度が上昇する。湿度については沖縄ほどではないが身体に絡みつく湿り気たっぷりの風を身体に受ければ快感の前に「不」を必要とする不快指数100%↗の場所ですよ、最も雨も、風も、湿気もみんな自然ですがね。
   
   
   
   
 この町並みは過去漁業に従事する人の多かった地域ですが車も入らない路地裏通りが続いてます(一部軽が入れるが)。建築基準法もここでは超~法規的扱いか、物理的に不可能な部分もあるんでしょうな。道路が未舗装でブロック塀がなければ、たまに帰る者にとっては郷愁を感じさせる場所でもありますが(北京の胡同「フートン」という訳には行かぬ)今の時代そうは行きませんよね。
 しかし、ブロックに囲まれた狭い道路、2030年までに発生する確率80%~90%と言われている東南海地震が来るとどうなるかいささか心配ですね、また地区的に津波も確実に押し寄せる場所でもあるようだし。まぁここに限らず串本自身津波の可能性を秘めた場所ですがね。

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2006/12/20

KOBE LUMINARIE(季節の話題)

 日本で最初にルミナリエが開催されたのは1995年夏和歌山マリーナシティでした。現在は拠点を神戸に移し、イタリア人Valerio Festi氏と神戸市在住の今岡寛和氏との共同作品となっている。
 阪神・淡路大震災の発生をきっかけに、当初は東京で開催するイベントとして計画されたが開催地を神戸へと変更し、鎮魂と追悼、そして復興を目的として1995年12月に初めて開催し以後毎年開催されている。土、日には一日で50万人前後の人出と言われている。
 旧外国人居留地界隈および東遊園地で毎年12月開催される恒例のイベントと神戸の夜景はぜひ一度は見ておいて下さい。(12/8~12/21迄開催されます)



神戸市役所1号館最上階からの東公園

神戸市役所1号館最上階からの三宮駅方面夜景

掲載写真は2005年に撮影したものです

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2006/12/17

たまには足下を

和歌山城西ノ丸広場

なぜかWBSのアナウンサーの面々勢揃い、聞いてみるとラジオ祭りとか。ムカシを知ってる小林アナ久し振りに拝見すると、ん~おっさんに。そりゃそうだろう当方の承知しているのは30余年前の睦郎アナだ、御年60回ってるはず?だお兄さんにあらず。普段声しか聞いてない和歌山放送アナの面々目の前で見ると・・・コメントは控えよう。

夜の和歌山城二の丸広場

竹灯夜の催しでした、今回が初めてだとか。ブラクリ丁でもやってたが明るくてローソクの明かりにはそぐわなかった、和歌山城内の方が風情がありましたな。傍観者は良いよね!でも裏方さんは小雨の中火を消さないよう走り回ってた、ご苦労様です。

ある日の公園前の交差点

けやき大通り結構色づいて、それなりの眺めでしたよ。腕が悪いので写真写りがわるいなぁ。(本当はもう少し綺麗です)

公園前付近の工事現場

クレーンが道路を覆って下を通るのがコワイ。まぁ倒れる事も無かろうが最近上富田で橋桁吊ったクレーンが倒れたなんて話もあるし。

公園前付近の夜景

街中は夜は静かです、裏通りって事もありますが。

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2006/12/12

BAJA CALIFORNIA SUR3

楽園は荒野を走り抜けなくてはたどり着けません。北回帰線などを横切って行くのであります。

CABO SAN LUCASに行けば一度は行くところ
ShrimpFactory
ガーリックバターで食すれば絶品ですな。



それにはこれが良くあいます、気候、風土からしてピッタリするのは当たり前か。

TECATEが出ればこれも外せぬ、サラダには必ず入ってます。最近は国産も出回ってるjalapenoですが辛味は?だ。

ここも外せない名所ね、道路にも大きな看板が。


おみやげです、よく見るとMade in Chinaでありました現地産のこう言う手頃なおみやげは無いかと探したら思いがけない店で手作りの物を見つけた。

テキーラのミニチュアボトルに何ともユーモラスな人形をくっつけた如何にもと言う感じの且つお値段もリーズナブルでありました。


また行きたいが全ては頼み、地道に小遣い貯めてゆく方がず~と確率は高いと思いつつ見果てぬ夢にかける我が身の哀れさ、トホホで有ります。
格安探してもハワイへ行くような訳にも行かずそれが一番の難題だ。

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2006/12/07

キタ

師走だ!風も冷たいが世間もつめたい。大阪市信用金庫の有志の方達寒いのに阪神百貨店の近所で一生懸命「愛の募金」に声をからしてたが通行の皆さんの反応が何とも鈍い。しかもそれまで端を歩いていた人がなぜか募金の手前で真ん中を歩く、目を合わさなくて済むと言うか募金箱から遠ざかる算段か。成果はどうだったか、ご苦労が実れば元同業としてはうれしいが。
景気はイザナミを超えたとか、でも個人の懐は-(マイナス)という話。メガバンクは高収益と言いながら過去の赤字ゆえ税金払わなくてもいいとか(その赤字はだれのセイなのか)考えれば考えるほどによく分からん世の中だ。

しわ寄せは庶民にという訳で、ここからほんの少し離れた大阪駅前第4ビル前の、何とかせにゃあかんと思う庶民の喧噪は別の意味で興味深いというか、切ないと言うか。            
10月何もなく静かです。









  2006年12月。年末ジャンボ発売中です








何故ここに、これだけ庶民が集うのかは左のデータが根拠であります。











 みなさんこれを夢見るのですよハイ!。
かく言う私めも夢の機会を得るべく(買わなきゃ参加できませんからね)が先にこれを見てしまったのが年末を待たずしての結果を予感させます。
投下資金×1/10」・・・惨敗の公式が成立です。
多分❍山台のYサンも無駄な投資をするだろうが、同じ答えが出ると思う。何故って何もせず一攫千金なんて、動機が不純な人に女神は微笑みませんよ。

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2006/12/01

BIG ISLAND国道200号線

ハワイ島(Big Island)を一周した。特筆したいのは200号線 Saddle Road(ここもレンタカーでは通行禁止設定地区らしい)と言われるHILOからWAIMEA,WAIKOLOA方面に抜ける道だ、舗装道路とは言え広くて快適とは行かない。本来ハワイ島西部と東海岸を結ぶハイウエイとして作られた道だがハイウエイと言うには・・・・。小さなカーブの連続と激しいアップダウン、道幅も狭いうえアスファルトも剥がれたり路肩も?。米軍の演習場が有るため弾丸を撃つ音がこだましたりもしますが問題は無いようです。特に夜間は照明もなく、また走行車両も少ないので何かがあればお手上げと思われる。驚いたのはこの道を走る時の天候でだ。

HILOを出る時から雨が(HIRO地区は一日一度は必ず雨が降ると言われており、この地域特有の地形に因るらしい)MAUNAKEAの登山口に近づくにつれ山岳地特有のすごい雨と霧に、登山口をすぎて暫く走行、ある地点を過ぎると嘘のような快晴になる、降った形跡すらない。これはここを走ったものでなければ判らないすごさだ。MAUNAKEAにアクセスするには必ず通らねければならない、それ相応の用心の必要な道ですな。最も私達は旧知のハワイ島を熟知したWAIKOLOA在住のK氏のワゴンでのアクセスだったので何も問題は無かったし、日本では味わえないスリリングな経験ではありました。


MAUNA KEA山頂、スター・ウォッチング・ツアーが人気でこの道の改修計画があるらしい。(既にやってるかな?少しご無沙汰すると様子がコロっと変わってることがままありますので)
MAUNA KEAの状況はこちらをどうぞ。
なお前述のK氏、自宅の一室を改築しハレ・ハナレとして「日本人が経営する世界の宿」の仲間入りをしておりますがまだ本書には掲載されておりませんです。

ペトログリフ①②

様々な謎(絵なのか、象形文字なのか)は未だ明確な結論は出ていない。ハワイ島ではちょこちょこ見られる。






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