小江戸川越(前編)
江戸を守る北の要衝として重視された川越に様々な江戸文化が伝わり「小江戸」と呼ばれる発展を遂げた。それかどうかは知らないが「鉤の手」「丁字路」「袋小路」「七曲り」等城下町の名残が随所に見られ、これが訪問者をまごつかせる。
ところで川越へのルートはJR川越線、東武東上線、西武新宿線で行く事が出来る。川越を探訪するには何かと便利な西武新宿線の終点本川越駅の利用がお勧め。時間に任せて歩くにも、また小江戸巡回バスで巡るにしても何とも都合が宜しいようで。そうボンネット型のレトロなバスは雰囲気も満点な上に観光客以外にも地元の皆さんの利用も多くて何とも楽しい。そうなんです狭い道路を走るので大型バスは走れなくて今流行のコミュニティバスの性格も合わせ持ってるようです。
此度は小江戸巡回バスに乗ってお手軽に名所旧跡を巡りましたが運悪く市立博物館は休館でここで川越のネタを仕入れようと思ったが大きな思惑違いで。
名所の他に名物にイモが有ります、聴くところに依ると江戸時代後期江戸で焼き芋が流行、数ある産地の中で川越のサツマイモが甘味がが有って美味しいと評判となり江戸っ子が認めるブランド商品に定着したと言われている。
喜多院=平安時代の創建と言われているが故事によると奈良時代までさかのぼるかも知れないとも。ここには江戸城内に有った書院式建造物が喜多院に移築され現存している。「家光誕生の間」「春日の局の化粧の間」と呼ばれる客殿や書院を見学することが出来る。徳川ゆかりの寺であった関係から寛永15年の大火で焼失した喜多院再建のため江戸城紅葉山の別殿が移築され客殿、書院、庫裏に当てられたためです。
小江戸の原型も寛永15年の大火がきっかけに築かれたと言われています。新河岸川の舟運によって江戸との交流が活発になり江戸文化の影響を受けて「小江戸」と呼ばれる繁栄を遂げていったそうです。
①仙波東照宮(国指定重要文化財)②慈眼堂(国指定重要文化財)③慈恵堂(県指定有形文化財)比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇です。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。④文化財をつなぐ渡り廊下。詳細は喜多院をご覧ください。*どれがどれだか分からない場合④の渡り廊下から類推下され。
何処の社会にもこういう方は居られますようで。皆さんの会社、ご家庭にいらっしゃいませんか?
五百羅漢、この羅漢は川越北田島の志誠の発願により天明2年(1782)~文政8年の約50年にわたり建立されたもので十大弟子、十六羅漢を含め533体+中央高座の大仏に釈迦如来等全部で538体が鎮座している。
時の鐘(残したい日本の音風景百選認定)一番街の中心から東に位置する高いやぐら、川越のシンボルです。川越藩主酒井忠勝によって設けられたと言われる「時の鐘」は城下に時を告げる時計台であった。現在の物は明治26年の川越大火で焼失翌年再建されたもので寛永の創建時と同様にくらしに根付いた時を告げている。
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コメント
どれも行ったことないかも…。川越って電車の乗り換え以外では3、4回ぐらいしか行ったことがないような気がする。そのうちの2回はパスポートの申請と受領…。
投稿: hija | 2007/02/27 04:43