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2007/11/29

阿寒湖

  阿寒湖とアイヌは切っても切れない関係がある、それを語るには1983年に設立された「前田一歩園財団」抜きには語れない。
  前田一歩園があってアイヌの今があり阿寒湖の自然が開発から守られていると言っても過言ではないと思う。
    詳しくは財団のHPをご覧下さい。
  阿寒湖に行った時期が多少早かったか当地のイベント「イオマンテの火祭」(10/10~12/1)「まりも祭り」(10/8~10/10)は見ることが出来なかった。阿寒湖=「まりも」位の知識しか無くこの周辺が北海道最大のアイヌコタンがある事も知らなかったから何も考えず漠然と道東の旅の宿泊地として訪れて今になって「しまった!」では遅きに・・・・。

マリモの姿は見かけませんでした。場所が悪かった?

阿寒湖畔のホテル群、後方雄阿寒岳(1370m)

阿寒湖遊覧船、後方は朝霧に煙る阿幌岳(978m)?

アイヌ民芸店群、一画に集中して居ります。阿寒アイヌ工芸協同組合の店々であります。メインゲートのフクロウ、これはアイヌの皆さんにとっては切り離せないものらしいですね。

中央がオンネチセ(アイヌコタンにある劇場)この辺りでイオマンテの火祭も行われるでしょうね。

なにやらトーテムポールみたいなのが用意されていたし。

当地区で一番大きいホテル(白浜にも傘下のホテル3軒ほどあり)ここで出たお茶うけ「まりもっこ」なるお菓子紐付きでありました。(ホテルで食べず家に持ち帰ったので文句言う機会が無かったし、どうでも良かったが「赤福」や「白い恋人」の騒ぎが出てきたからネ)
こう言うのって保健所のお手入れの対象にはならないのでしょうかね、しつこいようですが。
この地区のホテルでよく出されるお茶うけらしいが製造元不詳HPも無いようだし。食いそびれたから恨みが大きいだけだよ、まぁそろそろ時効にしてあげましょうね。

早朝の温泉街人もなく静かなものです。老人は朝が早いのでは有りません、出発が早かっただけです。


       

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2007/11/22

開陽台=中標津町=

  この辺りは他の北海道とはいささか趣を異にする。よそとは別の風景が存在する、そう山や谷が消えて大平原が現れるのです。
  標高27mの開陽台からは見事な大草原が眺められます。本州では見ることの出来ない日本の風景でない光景が広がるのですよ。まぁ、ツーリストには良い景色の場所では有りますが冬の厳しさは半端ではなく、誇張なしに命がけだとこの地に居住する作家の佐々木讓氏が何かで書いていた。通年居住する土地でない売り払って引っ越せとも言われたとか。そんなこんなで昨年冬の4ケ月間とうとうこの地から逃げ出したらしい。

  開陽台に続くミルクロード真っ直ぐに続く道は北海道ならではのもの、田舎のクネクネ路に慣れた身にはスゴイねの一言。車の通行量がそれほどでも無いのかバイクでツーリングしてる学生とおぼしき男どもがセンターライン上で大の字になって写真を撮っていた。バカかと思ったがこれを見ていると気持ちも分からぬでは無かったですよ。


    ここからの眺め「地球が丸く見える」と、我が故郷の本州最南端も「地球が丸く見える」がうたい文句だが海と北の大地とは感覚的に随分違った。見慣れた海より新鮮であった。

    中央の山は武佐岳(1005m)



    根釧原野を望む、この先国後島も見えるはずなれど・・・

    開陽台の隣に位置する開陽台牧場(写真上から5、6枚目)は東京ドームの100個分の面積だそうです。これは開陽台にあるモニュメントです。
   観光バスで走ると北海道の広さを実感しますね。しかし自分で車運転すると眠くなりそうな北海道の道路ではあります。

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2007/11/15

地元ウォッチング和歌山城のナゾ

  和歌山城の石垣にナゾの刻印がある、その数2110個その刻印の種類は40種以上確認されており、その刻印の場所も石の正面だけでなくあらゆる面にわたっている事が確認されている。
  石の刻印は全国的には「慶長」から「寛永」期に築かれたものに多く見られるそうですが、何のために刻印されたかは諸説があってはっきりは分かってないとか。ただ和歌山城においては刻印のある石の材質は和泉砂岩に限られ浅野家が城主であった時代(1600~1619年)に修築された石垣にしか使われていないことから浅野家の家臣が主家の城普請に協力した標として刻印したのではと和歌山城研究家の故松田茂樹氏は見ているようです。(城内掲示板より)
 しかし確たる確証はナゾであります、 所有者の表示、石質チェック、呪術的使用とも。
  新裏坂周辺に854個と全体の40%が集中している、石垣は風化とコケで見にくくなっているのも有りますが和歌山城を訪れる皆さん一度探して見ては如何?楽しみ倍増するかもね。但し高い場所にも刻印石は有りますが石垣に昇るのは危険です、目の高さの範囲にも結構見つけられますからその位で楽しんでね。









 

  主な刻印の種類です。城内に掲示板が有りますので参考に

  この辺りに大量に刻印がみつかります。他にも城内で思わぬ所でも見られたりします。宝探しならぬ刻印探し如何でしょうか。先日も中国(台湾?)の旅人がなにやら探しておりましたですよ。


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2007/11/08

風蓮湖

  一般的にはオオハクチョウの飛来する湖として知られている、私自身もその程度の知識にプラスして汽水湖程度の認識でありました。
  日本有数の野鳥の宝庫で日本に見ることの出来る野鳥の半数以上約330種が観察出来るとの事であります。

    写真(Google Earthから拝借)ではわかりにくいが㊨上部に3本の砂洲(砂嘴)から成り立つ春国岱があります。これは1000年~3000年前に出来たとされていますが寄せては返す波が運ぶ砂が堆積して出来る訳だから気の遠くなるような時間がかかるのは当然か。

道の駅から春国岱の第3砂丘?遠望

  「ちゃんちゃん焼き」と言うのだそうです、道の駅の「スワン44ねむろ」のバードパルで食べた昼食、北海道ですから当然魚は鮭でありました。全面ガラス張りの建物です。

    前方に見える部分も多分砂嘴です、第1砂丘?手前の湿地には望遠鏡で覗くと野鳥の姿がありましたが名前までは判りません。

   何せ見て判るのはメジロかウグイス(鳴き声で判断)くらいその他は判らぬ、白鳥は判るかも(多分)
  まぁちょっと寄り道程度のものでは風蓮湖、春国岱は判りません、ここもラムサール条約登録湿地です。根室十景でもありますが私が見たのは根室市側からでした。別海町側から見るとドウなんでしょうな。(風蓮湖は根室と別海にまたがってる)何せ物見遊山の旅ですから、名所旧跡もかすめて通るだけ故中身も薄いのです。

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2007/11/02

野付半島

  野付半島、名前は知っていたがラムサール条約登録湿地とは知らなかった、知床半島と根室半島の中間に位置するこの半島はオホーツク海に突き出た釣り針状の延長28kmにも及ぶ日本最大の砂嘴(さし)だ。野付とはアイヌ語で顎の意味だそうで先端が陸地に向かって湾曲している形が人の顎に似ていることから名付けられたとか。標津町と別海町にまたがっているが別海なんて別海牛乳のみの知識しか持ち合わせて無かった。ココは「返せ北方領土」の関係市町村だったんだ。

自然の造形とは言えまさしく釣り針状、今も地形は変化しているそうです。

世界遺産でなく北海道遺産でありました。

ネイチャーセンター遠望

散策道の木道整備されていて歩きやすかった

トドワラ、かつては森林だったとされるこの地の沈下により浸食されて塩分が多くなりそれを吸い上げたトド松が枯化して出来た、他に岳樺、ミズナラ等の枯木が見られる。こういうのを荒涼とした景観と言うのでしょうな。

この木だって何時まで緑を保てる事か、確実に海水が侵入してきてますから。

トドワラ周辺の風景、野鳥の宝庫だとか。

トドワラ遠望、時の経過と共に立ち枯れトドマツも倒れて自立してるモノが少なくなってる。全部倒れてしまうと景色が変わってしまうでしょうな。

   この馬車に乗って15分、散策路をトドワラ目指してのんびりと。道産子でしょうか逞しい馬でしたが一度に15人からの人を乗せて野道を運ぶのは大変だろうとトドワラ到着後金100円也でニンジンをあげるのです。
  OneWayでしたので帰りは歩きでした。先端のほうへウロウロ歩いてしまったもので、それなりの距離を出発時間に間に合うよう戻るのに大汗かいた。



  半島の付け根から先端まで28km、ほぼ一直線に結ぶ道路をフラワーロードと言いその名の通り道路脇では5月~10月まで色鮮やかな花々が次々と咲くことでも知られていますが、意外に花の数は少ない気がした。もう少し早ければ「エゾカンゾウ」(尾瀬のニッコウキスゲも同じ仲間)の黄色い花の絨毯が見られたが。
  判るのはこれだけ「ハマナス」今年は何故か3回咲いたそうで、来年咲くのだろうかと心配してた。異常気象は草花までも影響を及ぼしてる、狂うのは人だけではないのです。

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