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2008/01/30

続過疎の町(雑学的考察)

一桁、二桁はマダましと思える、この市に至ってはそんな生やさしい減りではない。かつて炭坑華やかなりし頃は4万人を超えた人口が今じゃ5千人を切るところまで来てしまった(2005年国勢調査時5、221人昨年末4,989人)
さてココは何処でしょうか?北海道歌志内市です。市章はかつては黒ダイヤと言われた石炭に由来すると見た記憶が。ところでこれだけ人口が減っても市なんですな、日本最少人口の市です。町に降格なんて事は日本の制度上存在しないとか。市になるには色んな縛りが有るが一度市制施行してしまえば幾ら人が減ろうが市は市なんですね。既得権というヤツでしょうか。
次は日本最少人口の町です(2005年国勢調査時1,534人)何処だと思います。地理とかに興味無ければまず持って想像の外ですな。山梨県早川町です。
町と来れば次は村です、これだけ少ないと行政単位として成り立つのかと思ってしまう。これぞ絶対集落そのもの急斜面ばかりで殆ど平地がなく田もない。家も斜面に石垣を築いてその上に建ってるとか。静岡県と長野県に隣接した愛知県富山村です(国勢調査時208人)ココまで来れば県も放置出来ないと見えて平成17年11月豊根村と合併し村は消えた。
反対に日本一人口の多い村は岩手県の滝沢村です。人口的には市制施行の要件を満たしているが外の要件(地方自治法第八条第一項:市街地構成戸数が60%以上であること)が満たされていない故に。要するに中心地が無いのです。(国勢調査時53,559人)因みに和歌山県ではこの村より人口の少ない市が4市あります(新宮市、御坊市、有田市、岩出市)
町ではここ愛知県は三好町(国勢調査時56,254人今年1/1現在56,662人)です、トヨタ自動車の工場が立地財政は豊かとか。何れ市制施行の予定だが徳島県に同名の市が存在し同名の市が存在することに徳島側が反対しているとかで名称がどうなるか。
愛知県には最少の村と最大の町がかつては存在したことになる。
最後に最大の市は何処でしょうか、これは誰でも知ってる街ですから答えナシ(国勢調査時3,579,133人)ヒントはこの市章です
たまたま2005年国勢調査の人口データが手元に有ったのでMAXとMINIMUMを拾ってみた。

データ見てるうちに我が田舎の過疎化?は若年層が少ない、男女の出会いが少ない、と言うことは出生も少ない。その上老人は消えて行く。更に転出はあっても転入は皆無に等しい。
完全な悪循環に陥ってる状況から起死回生の妙薬はない不治の病状態が見えてきた。
過去昭和29年の町村合併で人口23,000人余を数えたが平成の合併時15,000人位まで減っていた。8,000人何処に消えた?かく言う自身も転出した身だが。
歴史は繰り返す。


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2008/01/27

過疎の町

  定期的に田舎に帰ってますが何しろ最南端ですからそれはそれは寂しい町です。
  高齢化率32%強のうえに出生一桁に亡くなる方二桁、とにかく引き算しかない町ですから毎月確実に人は減って行きます、しかも高校の卒業シーズンになると桁の違う減りようであります。
  地元に学卒の受け皿が皆無に等しい位少ないので主に京阪神に流出するのです。まぁ和歌山県、特に紀南地方においては殆どが同じような状況にあるのですが。
   
  人っ子一人も見あたらず、白昼の町並です。ここは町役場の近くですが絶対集落的様相であります。
  人口2万人弱あるのですがね。

  梅が咲いて春がそこまで来ていると言うのに我が故郷は寒村であります。

  集客する施設も目玉もないのです、なけなしの売りはこれ、 ♨だって中途半端白浜や勝浦の様には。

  冬には望楼の芝焼きのイベントもあるが・・・。

  一応通る列車は全て停まりますが特急と言えども昔の準急並みに停まります。運行本数が少ないから県内の主な町に停めざるを得ない事情もあるのでしょうな(勝手な推測ですが)。
  2時間ほどの距離で途中6駅~7駅も停まります、無人駅にさえ停まるのでから。特急が走り始めた頃は和歌山まで途中2駅位の時も有ったのですが遠い昔の話です。

  一両に人の姿チラホラでは無いのです、チラだけなのです(今の時期ってことも有るが)。
  そのうち紀勢線も白浜以南から新宮まで第三セクターになったりして。それくらい乗る人も少なければ、列車の本数もすくないのであります。
  最南端の駅からは午后7時前で京阪神に帰る術が全く無くなります。過疎と言われる所以でもあります。

  まぁ何やかや言っても枯木灘の落日は何時見ても美しい、紀南ならでの風景です。


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2008/01/24

CRAZYばあさん

  和歌山城界隈に出没するおかしなハトばあさんの続きです。一日3回程ハトに餌を運んでいます。
  野生の動物は野生のままにしておくのが動物愛護と思うが件のばあさんは違うのね、餌を与えている時の鳥の集団の中で恍惚とした表情には見てる方が寒気を催すほどであります。
  ハトばあさん来る頃を見計らってユリカモメが集まってきます。この時期ハトはすっかりマイノリティに成り下がっております。

  騒ぎをよそに高見の見物としゃれてるハトども、じつは騒ぎに参加したいがユリカモメの大群に怯んでるのであります。ひたすらユリカモメが別の地に集団移動する日までハト達は出番を待ち続けるのです。

  普段はこの通り堀の中で憩ってるので有りますが

  ランチタイム時ともなると狂乱の宴にかわるのです。ハトばあさんが元気で有る限りユリカモメがハトに変わっても毎日この騒ぎは繰り返されるのです、残念ながら。
  行政ってこの手はどうにもならないのでしょうかね、「ハトに餌を与えないでください」の立て札出す以外。

○今日の和歌山城

  天守閣の方に上がって行くと老人の方が雨天でも無い限りここに来られてる様で楽しげに会話が弾んでます。
  ここまで上がって来られるのですから足腰丈夫な方達でしょう。下の場所では一人で何となく寂しげに・・・見える方もいらっしゃいます。
  しかし年を取って一人寂しげなんて・・・事にならないように足腰鍛えておこうと毎日お城周辺をウォーキングしてますが家人はそれを徘徊と言って笑っております。

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2008/01/23

良く解らん

  こう寒いと(季節と同じく懐も)遠出なんてする気もなく近場で何か無いかいなとお散歩コンデジ持参でウロウロしております。
  今日は因縁付けるつもりはないけれど「何で今頃」と思う話を。

  旧中消防署跡地で発掘調査が始まってる。鉄筋コンクリートの大きな塊が解体されて綺麗に整地され立派な和歌山城の案内板まで出来ていたのに突如?として発掘調査が始まった。
  一般的には構築物作る前に発掘調査するものと思うが載っかってた建物解体してからと言うのはどうも理解出来ない。官の仕事だ、予算だの文化庁だの難しいこと言うんだろうね。

  ひょっとすると消防署建築時遺構が壊されてる可能性も有るのではと心配しまっせ。





発掘中の場所には建物は載ってなかったが出動の度消防車だの梯子車だの結構重量のある車輌が通ってた場所だ。左側の暗渠、遺構など斟酌なしに工事されてると見られる。

チマチマと刷毛で土を除けながら発掘をしてるおばさん達、発掘現場は何処とも同じようですがこの寒空に気の毒な気もします。しかし天候等を考えるとこの時期が良いんでしょうかね。
  とは言うモノの結構痛んできてる石垣の調査は必要と思うし早急にやって欲しい。お城の美しさと言うのは石垣(城壁)無くしては半減してしまうと思うが如何?

この辺り痛みが顕著、石自体が砂岩なのか崩れて来てる。素人目にも早急な手当が必要かと。

今日の和歌山城、南高梅の蕾もほころんできた。季節は確実に巡ってくる。

そう言えば秩父の宝登山の臘梅も見頃かな。

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2008/01/21

高野の冬(FINAL)

  「五カ国語対応音声ガイド機」の貸し出しが高野山観光協会である、対応語は日本語、英語、フランス語、中国語、韓国語とこう言うものが有ると言うことはそれだけ高野山が国際化してるって事なんでしょうな。

苅萱堂、親子の名乗りをあげないまま修業に明け暮れた苅萱道心と石童丸の悲しい物語のゆかりのお堂。

摩尼宝塔(まにほうとう)、ビルマ(現ミヤンマー)戦没英霊を高野山で供養することを目的に昭和59年に完成した。

大師協会、全国5700に及ぶ大師教会の本部です。

大師協会隣接の教化研修場です。

六時の鐘、伽藍の入口にある鐘楼は福島正則(ご存じ豊臣家きっての勇将)が父母の菩提を祈って1618年に建立した。今も午前6時から偶数時に時刻をしらせているらしいが残念ながら私は聞いたことがない。

一乗院、ここの精進料理が美味いんだそうです。機会が有れば食べてみたい。

普賢院、ここも精進料理が美味いとか、朱塗りの建物は魔尼殿、左手本堂(明治21年本堂が焼失、高野山東照宮の拝殿を移築し本堂とした)。

南海電鉄official siteはこちら
南海林間バスofficial siteはこちら
一乗院はこちら
普賢院はこちら

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2008/01/19

高野の冬(その3)

  高野山の名物の精進料理一度食したいと思いながら未だかなえられてませんが低カロリーと言うことで女性に人気だそうです。他に笹巻きあんぷ、月のしずく、みろく石、ごま豆腐等有りますがごま豆腐を除いて他は未だ食べたことは有りません。
  世界遺産、高野の見所は色々有りますが以下かいつまんで

蛇腹道と言うんだそうです

東塔、左側は根本大塔

西塔巨杉に包まれて建つ多宝塔です。

不動堂、高野山に残る最古の建物1198年の建立と伝えられ鎌倉時代の美しい書院造りの様式を残している国宝だそうです。

根本大塔、昭和12年完成の朱塗りの大塔です。

御影堂、弘法大師がお住まいになっていたと言われるお堂です。

金堂、一山の総本堂です。

大門、1705年建立両脇に法橋運長作の金剛力士像が睨みをきかしております。

金剛力士像、向かって㊨と㊧の像です。

金剛峯寺official siteはここ


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2008/01/17

高野の冬(その2)


金剛峯寺正門、秋は紅葉が真っ赤ですごく綺麗なところです。

屋根の上に天水桶があります、屋根が檜皮葺ゆえ火災に備えたもの。日当たりの良いところには雪は有りませんでした。

経蔵、延宝7年大阪天満の伊川屋が寄進した。火災に備えて主殿から離して建てられたそうです。

鐘楼、金剛峯寺の前身の青巖寺のもの。和歌山県の重文だそうです。

正面大玄関、右側小玄関(こげんかん)

金剛峯寺正門前でお坊さん3人何を話してるのでしょうか。

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2008/01/16

ある日の和歌山城


今群をなして飛来中のユリカモメです、年中いてるハトが小さくなってます。名前が判らなくてモヤモヤしてましたがユリカモメと判ってホッとしております。

ハシボシガラスと言います、いつも見かける鴉なのかまた別の種類なのかよく判りませぬ(二の丸で)



延命地蔵いつ頃から祭られてるのか判りません、昔この辺り何かが有ったのでしょうか?裏坂の途中にあります。
     
砂の丸でレスキューが訓練してました。年と共に高所が苦手になりつつある身には見てるだけで背中ゾクゾクであります。

毎度おなじみリスであります、最近なれなれしく側に寄ってくるようになりました。

こんな塩梅であります、側に寄っても逃げませんが目的はどうもピーナツのようです。


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2008/01/15

高野の冬(1)

  秋の高野も紅葉が綺麗で風情がありますが冬の高野もまた美しいのであります。
  行った日は(1/6)思ったほど雪はなく且つ上天気のうえに気温も7℃近くに上昇、屋根に積もった雪も溶けてドサッと驚くことしきりでありました。

南海極楽橋駅。

極楽橋からケーブルカーに乗り換え高野山駅へ。

  ここから奥の院へ、日差しがあるため雪は溶けてしまってる。

  日の当たらぬ杉木立の参道はコチンコチンに凍って歩くのはヘッピリ腰でありました。

  奥の院御供所、ココで朱印受付してます。
  正面奥、奥の院御廟

  雪に埋まった無縁塚

  この辺り日が差さないため雪が・・・。

  花菱アチャコの歌碑、今の人アチャコなんて知ってるのだろうか。昔NHKでやってた「お父さんはお人好し」が今も耳に残ってる。

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2008/01/14

初冬の京の風物詩「千枚漬」

  千枚漬の美味い季節です、京都伏見の大安の工房へ千枚漬の漬けこみ作業の見学に行ってきた。このシーズン美味い漬物と言えばこの千枚漬に勝る物は有りません(私的見解です)聖護院かぶらの何とも言えない舌触りたまりませんがあの値段は何とかならんのかと・・・・。
  私が千枚漬を知った頃は1000円で5袋買えたのですから心置きなく食べられたので有りますが今じゃ1袋+α位ですから1袋開けると2~3回に分けて戴く有様であります。良質の聖護院かぶらは何処でも採れると言う訳ではないだろうし難しい問題ですな。

  生でも美味そうです。

  これから皮をむいて。



  カンナのお化けみたいな物でスライス(カンナがけ)鮮やかなものです、均等にスライスするには年期が必要と。

  漬けこみです、スライスした物を試食しましたが漬ける前の素材自身からして美味い。

  下漬から本漬へ、手際はなかなかのもの。しかし現在の需要を考えると手作業では仕事にならんと思うが技術は伝承として後生に残すのも企業の責任だろうしね。一部は機械処理と聞いたような・・・・。
  化学調味料、保存料、合成着色料を使わないと言うこだわりも老舗ならではのもの。
  去年は一部の老舗では飛んでもないことをしでかしてましたがね。
*工房見学は何時でもOKではありません為念。
*大安official siteはこちら

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2008/01/13

刺激的な話(スコヴィル値、ジレット法)

 スコヴィル値やジレット法なんて あまり知りませんよね、もしこの言葉の意味を知ってる方は相当な激辛好きか辛いものに興味をお持ちの方ですな。
  要するに辛みの測定法の一種でこの測定法を開発した化学者スコヴィルの名から名付けられた。
  Scoville Organoleptic Testと言われこの測定法の最大の欠点は人の主観に頼っている不明瞭さにあると言われている。化学者が開発した極めて科学的でない測定法でありながらあまりにも普及しすぎて科学的測定法の「ジレット法」が隠れてしまってる。
  まぁ測定法がどうのこうのと言っても良くは分かりませんが一番判る方法は自分の口に入れてみることです。
  世界で最も辛いのはギネスにも認定されているブットジョロキアですがこれは入手困難且つ口に入れる物ではないと。

  Habanelo Chilli(ハバネロ)です、たま~に近鉄に出てることがありますが200,000~300,000scovilleだそうですが私的には口に入れられる限界です。
  世界一のBhut Jolokiaの辛さは1,000,000scoville程ですからハバネロの程度がお判りになると思います。

  Jalapeno(ハラペーニョ)これも時々近鉄にでますが、これを見つけると速攻で買い求めます。食べ方は人それぞれで有りますが野菜サラダ等にやや大きい目に刻んで戴くのであります。これが好きになったのは何年か前に2度ほど行ったCABO SAN LUCAS(カルフォルニア半島の最先端)で食事の度出てくるサラダにすっかりなじんでしまって頭に刷り込まれてしまったと言う訳であります。
  因みにハラペーニョは2,500~8,000scoville程度ですが、これとてお腹が下る方もおられるようです。

Jalapenoで思い出してしまった、あぁ・・・機会があれば又行きたい
   

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2008/01/11

えべっさん

  3日間で100万人の参拝者を集めると言う今宮戎へ行ってきた。
  日本有数の商都の「えべっさん」だけにわが街の「えべっさん」とは桁違いの賑わいであった。露店の数も半端ではなかった、道路の広い場所では桟敷まである店もあったのには驚いた。

狭い道路では列で歩けとあったが、言われなくても自然にそうなる状況。

「えべっさん」迄の道すがらの毘沙門天尊からしてこの有様信仰心が厚いのか神頼みが好きなのか

なかなか「えべっさん」の前には行けません


おかぐらです、優雅に踊っておりましたが顔はほころんでるようで(気のせい?)

縁起物他何でも有りの感じ、何故か電動自転車まで売ってたぞ。

言われるままに流れて行くと自動的にナンバにでます。ここも両サイド露店でびっしり。
本戎の昼下がりでしたが行ったときより帰りがけにはお参りの人出が増しておりました。
お天気もよく且つ暖かった「えべっさん」もニコニコ顔と思うよ。























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2008/01/10

一澤帆布(知恩院の途中で)

  先日一澤帆布製バッグをお持ちの方を見かけたので思い出した。2001年先代が亡くなって骨肉の相続争いしたのはご存じと思いますが。
  兄弟(長男+四男と三男)による2通の遺言のを巡っての争い、結局日付の新しい物が優先(民法1023条)という事で後から出てきた長男の所持する遺言状が認められた。ただその遺言状の書かれた時期には父親は介護状態で書けたかどうかの疑問呈する向きもあるようだ。
  相続と言うのは家を出ている長男と後を継いで父親の面倒見た次男なり三男なりが割を食らうケースって世間によくある話。
  この件も、たまに来て親に美辞麗句並べてゆく長男夫婦に比して毎日面倒見てる方は色んな事で小言を言うので嫌われ優しい言葉並べ立ててゆく側に好感を持つのは当然のこと。これもそんなケースでは無いかと勝手に推測してるが。
  まぁ本件の詳細についてはYAHOOなりGOGLEで検索すれば一杯出てきますからご自身の目でお確かめください。
  ただ世間は三男の方に好意的かなと、店の客の入り具合からして。

一澤帆布工業、なかなか良い建物です。

三男の一澤信三郎帆布、こちらには一澤時代の職人が移籍、仕入れ先も信三郎側に付いてるとか。
   
一澤帆布にココまで接近するかと思うくらい近い、ほんの何軒かしか空いてない信三郎帆布の工房。
Img_0001_2  地図をご覧になれば判ると思いますが幾ら骨肉の争いとはいえココまで接近して店舗を構えるかと思ってしまった。一澤帆布の斜め前といった具合だ。折角来たのだから(知恩院にきて近場に有るのを知った)両方の店を覗いてみたが信三郎側の店舗の方が客入りもよく活気があった。(たまたまか)と言う事でこちらでバッグ買ってしまったよ。この2店係争はまだ継続中だそうな13億円?の商標権侵害訴訟が続いてる。普通の争いで無いので民事とは言え和解には程遠いようですな。
しかし財産があるから相続争いが起こる、無ければそんな心配ないがねご同輩。
*参考
民法1023条
前の遺言が後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したとみなす。
2.前項の規定は、遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合について準用する。

一澤帆布official site はこちら
信三郎帆布official site はこちら
  

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2008/01/08

突然の出来事

  思わぬ時に思わぬ事が起きる、昨夜我が愛用のPCが動きを止めた。
  いきさつはこうです、PCを終了しようとするがなかなか終了出来ない、と言うかHDDにアクセスすらしていない。
  ヤムを得ずリセットキーを押した、すると設定していないインテルの起動画面が現れてそのまま黒い画面となり「-」がチカチカするだけ。
  これはまずいとBIOS起動しようとするがキーボードもマウスも無反応、その上HDDも相変わらず無反応だ。
  ひょっとしてHDDの突然死か、まずい!バックアップなんてとってないしデスクトップにマキ散らかしてたデジカメの画像もパーかとマジ焦ったが夜中までひねくり回してあきらめて寝てしまった。
  翌日夕方までそのまま放置していたがふっと気がついたUSB接続だからOSが起動しないと認識しない。
  BIOSが正常ならレガシィデバイス(PS/2)に接続すれば認識するハズ(半信半疑)だと。
  正解でありましたがBIOS起動しても特に異常もなさそうなのでOS立ち上げてみた、やはりHDD無反応、黒い画面に「-」がチカチカするだけ。
  こりゃ息子に見て貰うより手だてないかなと思いつつ再度BIOSチェックしてみるとインテルの起動画面が「ENABLED」に変わってる、「DISABLED」に変更し次にBOOTの設定見てみると、何と1st.BOOTは良いとして2nd.BOOTがSOFTの入った方のHDDになっておりOSの入ったHDDが消えていた。
  これを本来の姿に戻して起動してみると、アラ!うれしやなつかしの画面が・・・・・。
  しかし何故BIOSの設定が勝手に変わったのかは未だ判らない.
  まぁ機械物ですから物言わず突然動かなくなるのは想定しておかないといけないのですが普段機嫌良く動いてるとついバックアップが等閑になってしまう。
  とにかく急に起動しなくなったりHDDにアクセスしなくなった場合はBIOSいじってみるのも一つの手ですな。
  長いことPCいじってますがBIOS設定が勝手に変わったのは今回が初めてintel特有じゃないよな。

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2008/01/07

日前宮

  何故かお寺さんばかり続いたのでここら辺りでお宮さんも無ければ方手落ちだろうと日前宮へ。さすが三が日過ぎると人の数もグッと減って静かな佇まいを見せております。
  ここは日前神宮(ひのくまじんぐう)国懸神宮(くにかかすじんぐう)が同一境内に座している二社の大社からなっており両社総称して日前宮とよぶんだそうです。

お寺さんでは無いから山門とはいわないよね、何ていうのだろう。ただの鳥居でいいのかね。

神殿への道すがら華やかなのはここだけでした。

↑↓どちらが日前神宮、国懸神宮か判りません、漠然とお参りしたので気がつかなかった。当然「無病息災」をお願いしておきました。お寺でもお宮でも無病息災ばかりお願いして来ましたが、あれやこれや頼んだ訳では無いので神さんも仏さんも聞き届け易いでしょうな。宝くじ当たりますようになんて言われるとお困りでしょうが。



ご祈祷所も三が日過ぎればさすが深閑としておりました。石油ストーブだけが赤々と燃えて侘びしそう。
新年の参拝は三が日か仕事始めの4日までに行くべし。人ひとの雑踏の中でお参りする方が何か行った気がするのは私だけでしょうかね。

何やら書き物が有りました。「謹みて按するに日前国懸大神は天照大神の前霊に座しまして其の稜威名状すべからざる太古天照大神天の岩戸に幽居ましし時群神憂い迷い手足措く所を知らず諸神思兼命の儀に従いて種々の幣帛を備へ大御心を慰め和め奉るに當り・・・・」早い話天の岩戸に閉じこもった天照大神を慰めようと鏡など鋳造したと。その時作られた鏡が御神体ですよと言う事ですか。

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2008/01/06

CRAZY

  和歌山城に毎日出没するハトばあさんがあります。いささかスイッチがおかしくなってる気配もしますが世間で言う常軌を逸したお方にございます。気に入らねば何処から出てくるのかと思うくらいワメキ散らしもするであります。
  城内にはこのハトばあさんの為に出されてる「ハトに餌を与えないでください」なる立て札も本人曰わく目が悪くて読めないと。ただ日頃の行いを観察してみますと目が悪ければ危なっかしくて通れないような場所でも平気でスタスタ歩いていますし世間も「あの人」は目が悪くないよと言ってる。但し側に人が居てると見えないふりの芝居をするとこれも世間の皆様が指摘しております。
  長年餌を与え続けていますのでハトもこのばあさんの来る頃を見計らって餌場?に群をなして集まってくる。

ごらんの有様で道路まで封鎖ですよ、通行人もギョッとして足を止めるのであります。

思い出しませんか、ヒチコックの1963年作品「鳥」の1シーンを。これが毎日繰り返されるのであります。たかがハトなれど、これだけ集団になると不気味であります。

この時期ハトだけではなく渡り鳥も混じって件のばあさんの姿が鳥の中に没してます。

バスの乗客も気味悪がってそそくさとバスに乗り込むのであります。(バス停の前で餌をやるのです)

一騒動終わった後の昼下がりハト達の居場所は渡り鳥に占拠され松の木の上とJP POSTの屋上に避難しております。勢力的には渡り鳥の方が優勢なようです。

このばあさん結構お年なハズですが元気そのもの。毎日餌をやるためシルバーカーに餌を満載して来るわけですからそれが健康にも繫がってるのでしょう。寝込むような病に臥さないかぎりこの騒動は続きますよ、ご近所のみなさん。鳥インフルエンザも気になります。

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2008/01/05

如意輪山蓮花院観音寺(通称長田観音)

  厄年のお払いに誰かに教わって来たのが20ん年前でその時以来の長田観音です。久し振りに来たが沿道もお寺も何も変わってなかった、変わったのは年食った私位でJRの紀伊長田駅も当時のまま無人駅のうらぶれた姿を留めていた。
    
途中の道標

他所とは趣を異にする山門、両サイドにはちゃんと仁王擬きが2体ありました。昭和38年鉄筋に作り替えられたと聞きました。

やはり善男善女が大勢お参りに、厄年に厄除けは日本人にとっては大切な行事なんでしょう、病気になって厄除けしておけば良かったなんて方もいらっしゃるようですから。厄除けと開運に御利益があるそうですよ、私的には運が開ける方にかけたいが・・・・。
大厄は数え年
男性=3・5・25・42・61・77・88
女性=3・7・19・33・61・77・88
だそうですHPにそう書いてあったが私は世間一般が言う厄年は42だけかと思ってた。こんなにあるとは知りませんでしたし毎度やろうと思うと大変ですね。(現実にやってる方いらっしゃるのかな)

歴史的には色々あって秀吉の根來攻めの煽りで焼失したり寛文初期に南龍公(徳川頼宣)が今の地に移させたとか・・・。ただ本堂はそう古くはないようです(大正5年完成)
初午、二午の会式には参拝者多数で交通渋滞がおこるそうですが、ここへの進入道路が対向するのも難儀なほどの細い道だから無理ない。
その上駐車場がそれほど広くない。

この時期公共交通機関のご利用がベストと思いますよ。和歌山バス那賀:長田観音前下車で4~5分位
JR:紀伊長田駅下車で3分位
そう大層な距離では有りませんからブラブラで着きます。但しネックは運行本数が少ない。

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2008/01/04

ぶらくり丁

  かっては和歌山一の商店街であった「ぶらくり丁」、目に余る衰退振りです。
  そう以前は丸正、大丸の百貨店とジャスコ、ニチイ等集客力ある店舗が周辺に存在したが時代とともに大丸とジャスコは和歌山から撤退し丸正、ニチイは倒産と集客力ある企業が周辺から全部姿を消した。
  それと共に「ぶらくり丁」も衰退していったと思う。良き時代を知る経営者と次代を担う若い世代との感覚のズレ等と相まって近代化の遅れが輪をかけた。
  いま「ぶらくり丁」歩いてご覧なさい、端から端まで見通せる位人の気配が有りません。
  その上年末とか盆前とか、かき入れ時であっても定休日はきっちり休んでさ。こんな時期だから当然開いてると思って来たお客が空振り食らうと次からは来ませんよね。結局お客より自分達なんだよぶらくり丁の経営者は(全部とは言いませんが)
  フォルテが旧丸正後にオープンした、折角助っ人が現れたんだ。ここで何とかしないと永遠に春は来ないし、気のない商売には明日さえもないぞ!と近所の住民は憂えているのであります。

  こんなですよ、開いてるのは極々一部の店舗のみ、これではお客はきませんよ。客が来ないから閉めるのか、閉まってるから客が来ないのか(卵と鶏の論法だね)

おまけ
旧丸正の屋上看板に何年振りかで明かりが点った日ぶらくり丁の商店のおばさま連中久し振りでうれしいと。端で聞いているとまるで他人事のような感じでありました。

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2008/01/03

風猛山粉河寺

  年と共に社寺仏閣が好みとなりとは言いませんが正月と言うことと和歌山バス&和歌山バス那賀のフリーキップでここぞとばかり出かけました。
  笑ってしまったのは始発から乗った乗客が途中殆ど降りず粉河寺でごそっと降車、その上殆どの乗客は通行手形みたいなフリーキップをヒラヒラさせて降車なさいましたよ。
  昨日の紀三井寺は西国三十三カ所2番札所、今日の粉河寺は3番札所で和歌山県内にある3ケ所の札所の内2ケ所を回る事になってしまった。ただ単に無頓着に行っただけの偶然であります。ハイ三十三カ所回って朱印集める気は今のところ持ち合わせなしで。

大門です宝永4年(1706年)建立だそうです

中門、天保3年(1832年)の建立。四天王が安置されている。
  
中門の四天王のうち2体、これってどう言う意味があるのでしょうか?

本堂、線香の煙が辺りに漂ってました。本尊は千手千眼観世音菩薩で眼に触れる場所には有りません、秘仏と言うことで。

ここもしっかりお参りしてきました、しかし同じ願を紀三井寺と二股かけて良いんじゃろうか

産土神社、何でお寺に神社?由緒は有るみたいだがよく判りません、頼母子の宮と呼ばれているそうな。無病息災、家内安全他に何がある?方々に行くと願のネタ切れだ。


粉河寺offcial site はこちら

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2008/01/02

紀三井寺

  和歌山に住んで30有余年、前にお参りしたのは何時だったか忘れるくらいの年月が経過した紀三井寺に初詣としゃれ込んだ。何を隠そうこれが有るからで有ります。
そう乗り放題フリーキップです。1/6迄乗り放題ですから有効に活用すべくアッチコッチに行ってみようと。

 
㊨山門(楼門)と㊧本堂への231段の階段結構キツイよ。
 
写真が小さくて判りづらいが結構急階段です、シルバー向きではないですな。
  
㊨今日は淡路島がはっきり見えてましたが(真ん中辺りの山の続きみたいなのがそうなんです)昨日は四国が見えたとお寺の関係者の話。㊧この時期お坊さんもお忙しいようで、しかし愛想よろしいですよ。  
本堂、老若男女が大勢何を願うのでしょうか、大勢過ぎて御利益足らなくなるのではと不謹慎な思いが頭をよぎったが当方も来た手前しっかり厚かましくお願いをしてきた。

桜には早すぎますが和歌山地方の開花宣言用の標本木であります。
    
「総漆金箔張大千手十一面観音と新仏殿」完成しているが入仏落慶法要厳修が20年5月予定に付きお顔は拝顔出来ず(覆いが掛けられてました)

紀三井寺(救世観音宗) official siteはこちらから

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2008/01/01

新しい年の始まり

  年が明けて最所にしたことは和歌山城が午前9時まで登閣すれば無料と言うことで行ってきました。「初日の出を天守閣で」とか「新春つれもて歩こう走ろう会」も早朝6時~7時にかけて行われたが当方午前2時半過ぎに寝て目が覚めたのは8時前、朝食もとらずで間に合う訳なし無料で上れるお城以外選択肢はなかったと言うのが実情でありました。当然先着○○名様記念品何て有るわけなし。
   
  しかし新年早々無料から事が始まったと言うのは自らそうしたとは言え釈然としないなぁ。

  今年も先の展開は「七転び八起」と行くのか「七転八到」で事が進むのか、どっちに行くかは知らねど親族や銃器による事件だけは勘弁願いたいね。何処かのメーカーさんのお詫びの記者会見は良いけれどさ。
 何れにしても社会全体が考えないと問題解決は遠いと思う。
  豊かな社会とはいえ格差社会が広がって世間が荒んできてるのも事実「working poor」なんてのも何時から世の中にシャシャリ出てきたんだ?
  まぁ当面は我が両手をじっくり眺めて過ごそうぞ。

  今朝、雲の隙間から太陽が。何故かイソップ物語の「北風と太陽」を思い出した。世の中今欲しいのは北風ではなく太陽です。初日の出では有りません日の出から1時間後です

  栗鼠と書きます、ネズミ目リス科と言うことで無理矢理に今年の干支に引っかけて(口にくわえてるのは落花生です大きさを想像してください可愛いものです)12/31和歌山城内で

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2008年子年の始まり

  おめでとうございます、この歳になると「めでたさも中位なりおらが春」とは言い難くどちらかと言うと「冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」ですな。なんやカンや言いながらも取り敢えず健康で有ることに感謝しよう。

○橋杭岩の夜明け

  初日の出を見に潮岬へは毎年5000人ほどの人が訪れるそうです。海抜100㍍の潮岬観光タワーの屋上より橋杭の立岩付近から昇る初日の出を見る事の出来る人は限られるため(500人程度と聞いた)タワーに昇れなかった人は望楼の芝生から見ることになるようです。地球が丸く見えますなんてうたい文句の潮岬でありますから雄大な円弧を描く太平洋からの初日の出はココならではものとして人気があるようです。
当日は早朝4時からオープンしてると聞いたがドウなんでしょうか、日の出は7時5分位だと言うのに。
  因みに日本で一番早い日の出は南鳥島だそうですが見ることの出来る人は海上保安庁、防衛省の職員に限定されるそうで有人島では小笠原諸島の母島とか。

  一度はこの辺りから初日の出のご来光を拝んでみたいと思いながら何十年も経過してる。ココまで引き延ばすと気が有るのかどうかも自身怪しくなってきた。
  今年も健やかに時にはあちこちに出かけながら余生をエンジョイしましょうか。定年退職するやいなや不幸にも亡くなられる方も居らっしゃるようですが、こうなると何のための人生だったのかと思ってしまう。○○はなくとも心は豊かに暮らしましょうぞ健康に感謝しつつ。

 

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