« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008/05/30

串本にて(今時の釣り)

  最近我が町の港を基点としてJGFAビルフィッシュトーナメントinKUSHIMOTOなる催しが行われるようになって地元では見かけなかった釣りボートがちょくちょく入港するようになった。潮岬の沖合が好漁場でかつ近いと言う事で脚光をあびている。





  旧来の当地人気の磯釣りとは漁場が重複してないと思われるがプロの漁師とはマグロ延縄辺りで重複する部分が有るかも知れない。何せ狙う獲物は大きく異なる。磯釣りは字の通りイソ魚がメインで海岸を大きく離れることはない。これまた周辺が好釣場でグレや鯛、いがみ(ブダイ?)クエ、石鯛等々春夏秋冬何かが釣れるがトローリングは、そう外洋でBLUEMARLINを狙うのがメインの釣りでありますから。
  装備だって全く異なるしコストも高くつきそうね。





  トローリングは外国から入ってきた物だしスポーツと見なされてるしね、趣旨が異なるから違って当然では有りますが。
  下段の船上の青い箱何~だ?トイレなんですよ、船釣りって結構長い時間海上に居ますので生理現象が生じますから。以前は舳先から筒を出して(小はまぁ良いとして大の場合(囲は有るには有ったのですが)露わなオッさんのお尻何ぞ見たくもないでしょうしそれに固形物何ぞ自分の釣ってる場所に流れて来た日にゃ貴方ドーする)海上に直放流してたのですが近年の環境問題に配慮してと言えば格好良いですがそうではないのですな。直放流は変わりなし、変わったのはアラレもない姿と物が見えなくなっただけ。最近は女性のアングラーもいらっしゃるようでその辺の配慮もあるようですが。 しかしこのトイレ小さな窓(明かり取り)が有るだけ、夏は汗だくで用をたすのですぞ。

JGFA Official HP
JAPAN GAME FISHING ASSOCITION

| | コメント (1)

2008/05/23

カメラの話

  先日娘からフィルム用の一眼レフ無いかとメールが来た。今時フィルムカメラなんかと思いつつ家の物置に有るよ「ペンタックス」「オリンパス」「ミノルタ」の3つと。
  直ぐ返事来たね、ミノルタ所望と(見透かした様に一番程度の良いのを要求してきた)、最近ソニーのαシリースのデジイチ買ったからマウント共通で使えるから両方で何かやってみたいのだろう。



  物置に押し込まれて何年だろうか日の目みるのは。ケースに入ったままだからご覧の通り意外に保存状態良くてこれなら使えるだろうと早速に宅急便で返品不可で送ったやった。
  娘は喜ぶしこっちは物が少なくなってヤレヤレだし双方満足の一日であった。


  簡単に出てきた訳では無いんだよ、部屋の中の小さな物置だが結構邪魔なものぶちまけてるから捜し物するときには一旦全部掘り出さないとどうにもならない。
  汗だくになって引きずり出した。これで返された日にゃたまりませんよ。
  もっと嵩の有る物ほしがって呉れると有り難いが例えば古い石油ストーブとか(そう思惑通りにはなぁ)。カメラでは何処が空いたか全くわからん。

  その内このカメラで撮影した花なんぞブログにUPされるだろうと期待しておるのだがね。

| | コメント (3)

2008/05/22

大阪ミナミ

  久し振りにミナミを歩いた。

  最近話題になってるこの「くいだおれ太郎君」何処に落ち着くんでしょうか。経営者の出身地の町が名乗りあげたり色々賑やかですな。しかし何でココで記念撮影するンだろうね、しかもその数たるや驚き!

  グリコの看板今年は阪神のユニホーム着てくれるかなと期待しているのでありますが。

  一足さきに着てくれてる御仁が居りました。本来通天閣に鎮座しておりますビリケンさんが(関西以外の人にはわかるかな?)

  何をやってるのかは知りませんが如何にも大阪って感じです。フードテーマパークだそうです、知ってリャ覗いて見たのに。

  近場に大阪のもう一つの顔宗右衛門町、このゴチャゴチャが大阪なんでしょう。「宗右衛門町ブルース」は今でもカラオケで良く唄われる曲です。私も大好きです、コチラで一緒にハモってください。

  ビルの谷間にひっそりと「三津寺」ミナミの観音さんと言われて親しまれてる。当山の開基は天平16年、近松門左衛門の曾根崎心中にも登場するとか。



  道頓堀川には水上バスも走ってます、時にはこんな船も。グリコの看板の近くです。

  御堂筋側に行くとこんなショップもありますしコーチやDOLCE&GABBANAのショップも。心斎橋筋とコロっと趣が変わります。たまに行くとなんか所々雰囲気が変わってヘーなんて事に。

| | コメント (0)

2008/05/19

古都清乃と和歌山ご当地ソング

  和歌山ブルースと古都清乃は切っても切り離せませんが元はと言えばここから始まったのですぞ。

  私の母の親戚筋でもあり同級生でもあった後にビクターの社長となった北野善郎氏が吉田正氏を伴って串本に姿を現したのが昭和43年10月14日丁度串本潮崎本之宮の夏祭りの宵宮の日であった。
  そのために開かれたのか、元々来串が判っていたからの段取りであったかは定かではないが吉田正氏をゲストに同窓会が海月(廃業して今は存在せず)で開かれたその折の貴重?な写真ですぞ。

  上段右から3人目北野善郎氏、下段中央が吉田正氏です、浴衣姿は夏祭りの衣装です。写真の人々の大半が故人です、何人かは現存されて居りますが御年92~93歳とご高齢で当時の記憶はセピア色の彼方です。
  両氏の来町の目的は上記の通り串本の唄を作るのが目的でありました。その後発売された「串本育ち」は当然A面で「和歌山ブルース」はB面でありましたが、これは串本人の北野氏の強い意向であった事は間違いのない所です。
  今でも地元ではスナックのカラオケで唄われていますが「和歌山ブルース」が主流であります。
  串本人としては悔しいが以前は私めもカラオケでは「串本育ち」より「和歌山ブルース」の方が多く唄ってましたしね。
  まぁ串本人としての私の必然的矛盾であります。
 
  中ぶらくり丁の雑賀橋の袂に歌碑が建立され結構皆さんが聴かれてる様です、歌い継がれる要因の一つかも。  考えて見ると串本に於ける「串本育ち」を唄う人は、この唄のリリースされた頃の若者がそのまま今に引きずってる。老人ばかりなんだよ、今の若人は唄わない。
  「和歌山ブルース」の方が歌詞も何かロマンがあるしメロディーも良い、「串本育ち」は歌詞もメロディーも何か串本節に引きずられてるしね。(当時としてはそれが正当だったのかも知れない全国区の串本節が存在したが故に)
♪潮の岬は男の岬
  岩に飛沫の虹がたつ
  わたしゃ紀州の串本育ち
  しょらさん舟歌胸こがす
  ここは串本向いは大島
  なかをとりもつ巡航船
  アラヨイショヨーイショヨイショヨイショヨイショ♪
こうだものね。

斯くて「和歌山ブルース」は生き残り「串本育ちは」ローカルで細々と息を潜めて・・・・・。

  蛇足ながらその昔、田端義男の「出船くしもと」なるご当地ソングが存在した。田端義男の奥さんが串本町田並(当時田並村)出身だとかだったとか。
  但し曲名は知ってるが歌詞もメロディーも知りません。  一二度聴いた記憶はあるが。

実家から吉田正、北野善郎両氏の写真が出てきた。
和歌山フェスタに絡めて・・・・。
右上写真クリックすると大きめの故吉田正氏が・

| | コメント (7)

2008/05/18

串本にて(串本大橋)

  この橋が出来たおかげで台風や風雨の激しいときの巡航船の欠航から解放された。私が高校生のころは橋がなく強風注意報が出ると巡航船が欠航し大島から通学している生徒は降ってわいた突然の幸せに喜々として授業を放棄して帰宅の途に(この地区から通学する連中に勉強が出来ないと突然の幸せを残念がる輩はおらなんだ。それどころか先生強風で巡航船欠航です・・・と嘘つく生徒も居ったような)、また他の地区からの通学生はエエなぁエエなぁと羨ましがったのであります。ハイその程度の生徒が大半を占める高校でありましたから(^_^;)。
  当時大島からは大島⇔串本、樫野⇔串本、白野(須江)⇔串本の3航路があったが大島⇔串本を除いてそう運行回数が多くはなかったし島内の交通事情も最低だったので通学、通勤は巡航船な頼らざるを得なかった。
  しかしながら大橋が開通したおかげで大島地区から通学する生徒の楽しみが奪われた恨めしい橋でもありますし串本節に唄われた「♪仲を取り持つ巡航船」も航路廃止の憂き目に。

手前のヨットはNZから来航したもの

大水崎海岸から大橋を望む

  わかりにくいが橋部分が高いため取り付け部分がループになってます

手前の浅海漁場側から

大島側から

  角度を変えて、橋が高いのは漁船を通すため。
  この橋の完成で本土と結ばれたが強風の時には通行止めが発生する事も有るらしい。何しろ太平洋からの強風が直接吹き付ける位置に架かってますから台風シーズンにはまともであります。
  そう遮る島影が無いのですよ、広がるのは広大な太平洋のみ。

| | コメント (0)

2008/05/17

Wakayama Castle Now!

  私的な用件で和歌山に戻ってきたので久し振りに(4/6以来)お城に行ってみた。たまたま休日だったので家族連れで賑わって居りました。
  季節が良くなってきたので色んな事を城内でやってましたよ。

  お堀で”船遊び”、明日城内で「お城フェスタ」なる催しが開かれるようでその一環での催しらしい。

  でも暇らしくおじさん撮られてるのも知らず午睡中?でした。
  中学生以上金500円也、小学生金300円也、所要時間20分程とあるがあのお堀で20分費やそうとするにはどんな周遊するんだろうと暑い日差しの中考えてみた。結論500円は高い!だ。
しかし「お城フェスタ」の経費捻出の為とあるから皆さん納得して乗るんでしょうな。

  おじさん、おばさんの団体が岡口門をテーマに写生会をやっておりました。

  よく判らないのがこれ、大宴会をやってました。見る花も無くあるはイチョウの葉っぱのみ。まさかイチョウの木の下で花見ならぬ葉っぱ見?ただ頬をなぜる風は心地よいものがありそうでした。

  久し振りなのにリスめがお出迎えして呉れた、可愛いヤツじゃがまさか出てくるとは思わなかったので好物のピーナッツは持ちあわせなんだ、許せ!

  まだ寒いころから実をつけてた夏みかん?だれも獲らないらしく良く実ってました。

  樹齢450年の樟、大きな木蔭をつくってました。これから暑くなってくるとこの下に人が集まるのであります。今はベンチに誰も居ませんが。
  毎日見てると季節の変化は判りにくいが1ケ月半ほど間を置くと季節を実感しますな。

| | コメント (3)

2008/05/16

串本にて(串本今昔)

  実家の机の引き出しから昭和27年撮影の写真が出てきた。
  砂州が発達して出来た町(最後の写真参照)と言うのがよくわかる。
東側も西側も海と言う串本節に唄われた「私しゃ串本両浜育ち」そのものであります。
  高い建物もなく橋杭岩がはっきり見える。
  子供の頃は両方が白砂の海岸で有ったのでよく泳いだものですが今では橋杭岩近くに辛うじて残った砂浜以外遊泳禁止となってしまった。
S27kushimoto_umazaka
  現在の串本ほぼ同じ場所から撮ってみました。
両浜というのは今も変わりは有りませんが公有水面の埋め立て等により橋杭岩は少々見えずらくなっている。
  但し手前の海岸線(地図上は西)は防災上の関係で護岸工事等がなされ青松白砂?の海岸は消えたがシルエットは昔も今も殆ど変化は見られない。
  顕著に変化したのは写真では解りませんが右側の海岸です。

  判かりづらいが紀伊大島側から見た東海岸、砂浜も完全に消え且つ3度ほどの埋め立てで海岸線が沖だしされ漁港も防波堤も出来昔の面影は形跡すら残していない。

  手前の浅海漁場の生け簀群です、ここには写ってませんが少し離れた場所にマグロの養殖場もあります。昔は白く写っている建物付近に国の南海区水産試験場もあったが今は和歌山県水産試験場になっている.

  以前は見られなかった風景、上の建物も下右側の建物もホテルであります。

  まぁいくら田舎でも60年も時が経過すれば変わりますよね。昔のままというのはまれでしょう。

  航空写真です、串本の地形がよく分かるでしょう。本土と潮岬が長~い年月を経て陸続きになったのが。(和歌山県のHPのどこかに掲載されてたのを拝借しました)

| | コメント (0)

2008/05/14

串本にて

  当面実家に滞在予定です。
  わが田舎をチョイト紹介してみようと・・・・。この町のメインの景勝地であります橋杭岩をターゲットに。

よく見かける橋杭岩です

  角度を変えて、ほぼ付け根から。一般的にはあまり見ない角度からです。

  裏側(串本町姫方面から)普段見かけるイメージとは随分違って見える。

橋杭岩の根元にある弘法湯と言う温泉ですが毎日入れる訳ではありません。地元の人だけが楽しむ社交場です。地元に限定している訳ではありませんが結構勇気が要ると思います。(火、木、土、日open)

  橋杭海水浴場から眺めた橋杭岩、今は静かですが夏本番ともなりますと賑やかになります。田舎故芋をこねる程にはなりません。

串本漁港の落日、穏やかな一日でした。


| | コメント (1)

2008/05/06

串本にて

  過疎が進む田舎の町にしては結構色んな物(?)があります。

  ハローワーク、ロクに働く所も無いのに昔からあるんですな。

  警察、これも昔からあるんです。その昔は(戦後ですが)二つの警察が存在した時期もありました。auだってドコモだってあるんだよ。ソフトバンクはございませんが。

  ヒューネラルサービスだってジョーシン(FC)だってホテルもあるんです。もう1軒EIDEN串本店なんてエディオングループの家電販売のショップもありましたな。

  レンタカーだって

  ダートコーヒーの営業所が

  この辺にはそれなりの規模のスーパーが2軒この近所にはTSUTAYAまで。国道挟んで大体がこの周辺に集まってる、田舎の繁華街ね。

  老舗のパン屋さんもあります。

  我が家のばあさま物持ちが良いからバブルに踊ってお取りつぶしの憂き目にあった阪和銀行の前身のマッチまで未使用のママ転がってる。人口に占める後期高齢者の割合の高い町ですからお年寄りの囲物探せば色んな面白グッズ(物)が出てくるかも知れません、そう考えると面白い町かもね。

  関係無いけど久し振りに帰ると葬儀場が増えてるのね。まぁ月に4~5人の出生に20人近く亡くなるわけですからこの手の商売良いんでしょうが。
  この町の繁華街の周辺に3軒もあるんです。以前はお寺でしか葬儀は行われなかったのに式場持った葬儀屋さんが、過疎の町でも時代は変わる。しかし人生の終末が変わるより今が変わって欲しいと思うこの頃ですな。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008/05/01

串本にて

  思いがけない出来事で実家に帰ってる、しばらくは忘れ頃の更新となり当面串本が続くでしょう。
  町内のところどころに、住む人の絶えた家(町内結構こう言う空き家が多い)があります、自然崩壊を待ってるのか荒れるに任せてあります。多分この家の末裔も関東か京阪神辺りに健在と思われますが田舎に帰ることは無いのでしょう。場所としては問題のない所なれど処分するにも相続争いするほどの額にもならずその上、地上物件が邪魔で更地にする費用等いれるとなお売りがたくといった所でしょう。

  ここから程近い場所に何処にでもあるような花を売る無人店舗があります。売れてしまったのか商品はありませんがお墓参り用のお花がメイン商品です。

どう見ても・・・と思うでしょう、ところがです。

  この無人店舗驚くなかれツケがきくのです、しかも至れり尽くせりなのであります。

左下のケースに事細かに

  世間ではまず見ないと思いますが、近場に共同墓地(これが田舎に似合わない位立派な墓地なんだ)があり毎日お墓に行かないと気が済まない人も多く、お参りに行くための供花をココで買うのです。信心深いこの地の人はお墓参りのお花の代金を踏み倒す様なことはしないのです。また、知らない人はまず来ない田舎のローカルな所ですので。
  正直この書き付け見て驚きましたね、長閑でノンビリ且つ人を疑わない田舎の人情なんでしょね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »