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2008/05/19

古都清乃と和歌山ご当地ソング

  和歌山ブルースと古都清乃は切っても切り離せませんが元はと言えばここから始まったのですぞ。

  私の母の親戚筋でもあり同級生でもあった後にビクターの社長となった北野善郎氏が吉田正氏を伴って串本に姿を現したのが昭和43年10月14日丁度串本潮崎本之宮の夏祭りの宵宮の日であった。
  そのために開かれたのか、元々来串が判っていたからの段取りであったかは定かではないが吉田正氏をゲストに同窓会が海月(廃業して今は存在せず)で開かれたその折の貴重?な写真ですぞ。

  上段右から3人目北野善郎氏、下段中央が吉田正氏です、浴衣姿は夏祭りの衣装です。写真の人々の大半が故人です、何人かは現存されて居りますが御年92~93歳とご高齢で当時の記憶はセピア色の彼方です。
  両氏の来町の目的は上記の通り串本の唄を作るのが目的でありました。その後発売された「串本育ち」は当然A面で「和歌山ブルース」はB面でありましたが、これは串本人の北野氏の強い意向であった事は間違いのない所です。
  今でも地元ではスナックのカラオケで唄われていますが「和歌山ブルース」が主流であります。
  串本人としては悔しいが以前は私めもカラオケでは「串本育ち」より「和歌山ブルース」の方が多く唄ってましたしね。
  まぁ串本人としての私の必然的矛盾であります。
 
  中ぶらくり丁の雑賀橋の袂に歌碑が建立され結構皆さんが聴かれてる様です、歌い継がれる要因の一つかも。  考えて見ると串本に於ける「串本育ち」を唄う人は、この唄のリリースされた頃の若者がそのまま今に引きずってる。老人ばかりなんだよ、今の若人は唄わない。
  「和歌山ブルース」の方が歌詞も何かロマンがあるしメロディーも良い、「串本育ち」は歌詞もメロディーも何か串本節に引きずられてるしね。(当時としてはそれが正当だったのかも知れない全国区の串本節が存在したが故に)
♪潮の岬は男の岬
  岩に飛沫の虹がたつ
  わたしゃ紀州の串本育ち
  しょらさん舟歌胸こがす
  ここは串本向いは大島
  なかをとりもつ巡航船
  アラヨイショヨーイショヨイショヨイショヨイショ♪
こうだものね。

斯くて「和歌山ブルース」は生き残り「串本育ちは」ローカルで細々と息を潜めて・・・・・。

  蛇足ながらその昔、田端義男の「出船くしもと」なるご当地ソングが存在した。田端義男の奥さんが串本町田並(当時田並村)出身だとかだったとか。
  但し曲名は知ってるが歌詞もメロディーも知りません。  一二度聴いた記憶はあるが。

実家から吉田正、北野善郎両氏の写真が出てきた。
和歌山フェスタに絡めて・・・・。
右上写真クリックすると大きめの故吉田正氏が・

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コメント

ビクターの社長や、吉田正氏は良いとして、お母様は何処に????
内緒にしなくても~(^_^)v

厚かましくも吉田正氏の隣に。但し右隣か左隣かは息子から判断してくれい。

投稿: | 2008/05/19 21:20

・・・・m(_ _)m

投稿: itchanでした | 2008/05/19 21:22

向かって右の方では?と思われますが・・・
写真が大きくないので、拡大すれば荒れますし・・・では近い内に

悪いがうちの婆さんあの頃はまぁ美形の方で有ったぞ。

投稿: itchan | 2008/05/20 21:43

和歌山ブルース。おもしろそう!一度聞いてみたいですね。昭和のにおいを感じる曲なんでしょうか。

メンカさん今晩は、近所のCD屋さんには無いですね、視聴出来るサイトもなさそう。当地の場合スナックのカラオケには必ず入ってますが。よそで聞くのは難しいでしょうね、残念ながら。
あの時代(S43)とは和歌山も変わってしまって唄の当時の面影は?ですね。

投稿: メンカ | 2008/05/20 22:50

旭南→曲なん
すいません

投稿: メンカ | 2008/05/20 22:51

はじめまして。
串本育ち、とてもノリのいい曲で好きなんですが、
カラオケに入ってればいいんですが。。。
今度調べてみます。

投稿: ジョナサン | 2011/09/02 09:07

 田畑義雄さんの奥さん(田並出身)の姪にあたる人が、私の友人です。田並は、ハワイ、アメリカへ移住した人が多かったことで知られていますね。 私の祖父(那智勝浦町)の妹が、戦争前ペルーへ移民しました。それで、移民のことを調べています。 その中で、今は閉校になっている田並小学校に、移住した人から送られたものや帰ってきた人が持ち帰った物を展示している「南洋館」があることを知りました。 多くの資料が、ほこりにまみれているようです。 何とか引き継いでいけたらと思っています。

投稿: 阪口圭一 | 2017/06/21 17:49

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