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2008/06/27

閑話

  随分昔に、そうまだモノラル全盛の時代にYAMAHA心斎橋で買ったレコード(当然CDも存在しなかった)がこれ。

  当然良いなと思って買ったのではあります。しかし後になってこれ程評価が高く成るなんて想像もしていなかった、何せ輸入盤で解説も英語で解りませんでしたし。
  購入当初は結構聴いていたのですが何時しかレコードケースに収められたまま押し入れ深くしまい込まれてしまったのです。
  以後再発されることなく(知らなかっただけかもそれないが)廃盤になりすっかり忘れていた。
  最近になってPCに接続してアナノログからデジタルに落とすデジタル・オーディオプロセッサーとソフトを買ったので真っ先にデジタル化をと思ったのがこれ、押し入れ引っかき回して探し出し早速に挑戦してみた。
  ノイズは気になるものの保存状態が良かったので鑑賞に堪える状態でCD化出来、ほくそ笑んでおりました。
  先日何気なくGOOGLEで検索していると何とCD化されてるでは有りませんか、それも2007年に。
  落胆しましたね「お宝」がお宝で無くなった訳でありますから。
  でも定年過ぎたオジサンがやっとこさデジタル化した記念品でありますから私に取っては未だ「お宝」であることには変わり有りませんが。

  レコードのラベルからCDにプリントしました私の秘蔵盤です、CD化された本物はどんな状態かは知りません。
  HPの解説に寄りますと「ジャズ史上に残る大名盤、後長きに渡って彼等の代表作と呼ばれるだろう。余すところのない魅力の詰まった集約的な一枚と。
  尚本盤は通称足盤と言われているそうです、多分レコードジャケットの左下の足がそう言わせている物と推測しているのですが。

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2008/06/25

串本にて(串本漁港の昼下がり)

  子供の時分から慣れ親しんだ風景は幾つになっても忘れられないもので田舎に帰ると必ず一度は出かける場所が串本漁港です。子供の頃の記憶の面影は全く無くなってますが・・・・・。

漁船だってこんなには大きくなかった

  漁網は乾燥すると困るのでしょうか、終始海水が掛けられている、かなりの重量があると聞く。

昔と違って設備も大変だ

  昔は人力で網あげをしていたが今じゃ動力で巻き上げる、何処だってヒトは少なく高齢化で機械化しないとやっては行けない。


  巾着網(巻き網)という魚群を網で取り囲んで一網打尽に獲るので有ります。一網打尽と言いたいが魚影も少なくなってそうも行かずと言う話も聞く。油は高騰するし明るい展望は望むべくもなし。過日の第58寿和丸はこの手の大型船です、あんな大きな漁船が一瞬にして沈没するなんて思いも寄らぬこと。
  三角波は大型船でもコワイと言う話は聞いたことがあるがあれほどとは。ご冥福をお祈りする。



  漁獲を生業にする漁船と対照的なスポーツフィッシング用ボート、この玉座に座って背もたれの絵と同じブルーマーリンを狙うのであります。7月に入るとJGFAビルフィシュトーナメントも開かれる様でその下見か兵庫県から来港してた。これからこの手のボートの出入りが多くなる思われるが庶民の遊びとは趣がちがう。

今後も帰郷のおりに「串本にて」が続きます。

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2008/06/22

Pentax K200D

  買ってしまった、前からペンタックス愛用者なのでズルズルとペンタックスファンで有り続けている。
  フィルム時代のS2、S3、オート110、デジタルistDSと旭光学さんに奉仕してきたわけです。で今回HOYAのペンタックス事業部のK200Dのボディのみを買った。
  まぁペンタックスファンで有り続ける理由は一つにはレンズが使い回し出来ると言うこと、使い慣れてると言うこと、更にペンタックスが好きという三つの理由です。
  ただ買い換えるほど使い込んだ訳では無いが最近手ぶれのボケた写真が多いよう~な気がして手ぶれ防止のついたデジイチが欲しくなった。

  110フィルム現像してくれるところが少なくなったと言われている。今見ると何となくおもちゃっぽく見えるが買ったときは何故かうれしかったです。

  S3です、懐かしいこのギミック手放したくないね、但し現役復帰するにはそれなりの修理とレンズの清掃が必要だ。
  istDS、この時点ではデジイチとしては小さいと言ってたがフィルムカメラと比べると結構大きく重い。K200Dが来たお陰で売却されました。このカメラは結構旅をしてまして沖縄の波照間島、西表島、石垣島、はたまた北海道は利尻、礼文島、稚内、宗谷岬、釧路、根室、納沙布岬、野付半島、知床、海外ではワシントンDC、シャーロッツビル(バージニア州)ジョン・デンバーの「TakemeHome Country Roads」で唄われるシェナンド川等々結構色んな場所につきあってくれたから手元にと思っていたが背後から鬼嫁の一声「二つ有っても仕方ないやろ~処分しな!」と言う訳で泣く泣く処分と相成りましたハイ。
 寄る年波に手が震えるように成って(ません)無いよりは有る方がキレイに撮れるだろうし今時殆どのデジカメ手ぶれ防止がついてる状況で発売間もないK200Dに心動かされ2~3日躊躇してヤット決心した。
何が幸いするか躊躇したお陰で6千円ほど値下がりして(*^_^*)しかしこの年になって未だ物欲の衰え見えないのは非常に困ったことですぞ。

  試し撮りに我が家の窓から近所のイタメシ屋をパチリ。適当にトリミングしてみたらそれなりの雰囲気に見えるから面白い。

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2008/06/20

Washington Nationals

  昨年ワシントンDCに行ったおり大リーグの開幕試合をみて興味を持ったのが「ワシントン・ナショナルズ」。
  行くまでワシントンDCに本拠地をおく大リーグが有るなんて知らなかった。
  まぁ日本国内では知名度は極めて低い、その上日本人プレーヤーも在籍してないから尚更知らないヒトが多いのは無理もない。
  件の「ナショナルズ」元は「モントリオール・エクスポズ」なのでありますが2002年オーナーが撤退し大リーグ機構自身によって経営されるとともに本拠地の移転を検討していた。
  ワシントンDC、ノーフォーク(バージニア州)、ラスベガス(ネバダ州)等が誘致活動を行っていたが2004年9月大リーグ機構によってワシントンDCが選ばれテーム名も「ワシントン・ナショナルズ」に変更された。
  「ワシントン・ナショナルズ」は2005年から3年間、かつてのMBLチーム「ワシントン・セネターズ(現テキサス・レンジャーズ)」の本拠地であったワシントン郊外のRFK(RobertF.Kennedy Memorial Stadium)スタジアムが暫定的に本拠地とするが2005年から新スタジアアムの建設を開始し今シーズン(2008年)開幕から移転した。
  大リーグ機構はチーム移転の条件の一つとして、大リーグに相応しい新スタジアムの建設を要求した。
  ワシントンDCもワシントンDC南部のアナコスティア・ウォーターフロントに新スタジアム建設を提案し2008年3月41888席の新スタジアムが竣工した。ワシントンDC政府は新スタジアム建設をウォーターフロント再開発の目玉事業ととして位置づけているらしい。

  新球場で頑張ってるハズなのに6/19現在29勝45敗(.392)と言う成績であります。判官贔屓でもこれはチト寂しいよ。でもシアトル・マリナーズはもっとヒドイよ。.25勝47敗(.347)
  こちらからご覧ください他球団の成績も含めて。
  日本では両球団合わせて最下位の横浜ベイスターズでもここまで酷くないよ。
後日この続きあるかも?

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2008/06/18

串本にて(樫野崎)

  明治時代揺れ動いた紀伊大島、前回はトルコ軍艦沈没事件について書いたが・・・。

  「The US-Japan Amity Memorial Hall日米修好記念館」です。ペリー浦賀来航より62年前米商船2隻が寄港し貿易を申し込んだ事実を後生に残すため建設された。館内には商船の模型や歴史的文献、米国から送られた資料が展示されている。
  我々が習った日本とアメリカ合衆国の交流の最初は1853年浦賀にペリー提督が黒船4隻で来港した時と。
  ところがアメリカ合衆国では日本に最初に渡航して貿易を申し込んだのは1791年ケンドリックが串本の紀伊大島に来航した時となっている。彼が乗った国代表の資格を有する商船「レディーワシントン号」の船名とともに大多数の歴史書にその名は刻まれている。

 当初の計画から貿易の目的を持って紀伊大島に寄港しているが住民の刺激を避けるため漂着の形を取ったと公文書では明らかになっており、アメリカ合衆国ではこの事実を認識した歴史となっている。が日本では漂着として教科書には掲載していない。日本とアメリカ合衆国では認識が異なっている、教科書に載らない真実であります。
  事実を事実と認めない硬直した考えがなんとも情けない。この事実を詳しく表した「我が名はケンドリック」(講談社)というノンフィクションが有りますが今は入手困難です。
  この日米修好記念館の側にピラミッド形をした巨岩が海面から突き出すように姿を見せているのが海金剛と言い鋭く切り立った岩礁に砕け散る波頭が迫力の景勝地です。但し、今回は妙に穏やかでありました。由来は北朝鮮の金剛山と言う説もある。



日米修好記念館駐車場にある案内版です

  ハワイ島にもこれに似た風景が、そうワイピオ渓谷に似てないかい。


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2008/06/16

Wakayama Castle Now!

  天気が良いので久し振りに天守閣へ行ってみた。出かけた時間が丁度リス達の朝食の時間であったか数匹がウロチョロ。



     
     











     
  何時も見かける老夫婦が盛んにリスに話しかけていた、解ってるのかどうかは知らないが寄ってくるんだね。
  二人の手元のピーナッツ目当てかどうかは知らないが私の出したmade in chinaのピーナッツは目もくれなかった。
  しかし諸君の先祖は台湾だぜ。

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2008/06/14

これって?

  何なのでしょうか、我が家の食卓の上に随分前から放置されてる物体、息子が同僚の結婚式披露宴の福引きで貰ってきたとか。
  興味が無いのか開ける気配もなし。

  イケメン応援キットなる缶詰、我が家にイケメンは不在だし、オヤジはイケメンには程遠いし。いったい何が入ってるのか全くもって不明

  ダヴィンチ擬きの絵がプリントされてる、「バラエティグッズ」「医療用具許可番号」なんてのが記載されてる。缶切りでもって開けろ.使用期限2012年とも。
  振るとコロンコロンと音が、まぁ爆発物ではなさそうだが食卓の上に置くようなものなんだろうかね。
と下らんこと考えながらビールではない発泡酒飲んでたら眠くなったプハッ~。笑うなイチ!気になるんなら開ければと思ってんだろうが・・・・・。ヒトのもの勝手に開けるほどヤボじゃネェ~よ。しかし気になる(^^;)

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2008/06/13

季節の花二題

  個人が栽培してる菖蒲と紫陽花を3日間開放してくれると新聞に掲載されて居たので出かけて来た。梅雨と言うのに実にいい天気で良かったがこの手の花は雨の中で眺める方が風情が有るのですよね。
  天気のお陰で大勢の人が花見に来られていた、中には老人ホームからも車椅子軍団が花を楽しんで居りました。良い光景でありましたな。オーナーの花のレクチャーも有って良い雰囲気で一時を楽しませて貰いました。但し個々の花の名前は全く分かりませんでした。それぞれ違う花なのでしょうが一括りで菖蒲、紫陽花と呼んでおりましたです。




















  これで個々の名前が分かれば最高なのですが個人の好意によるものだけにそこまで望めず。しかし我ながら上手く撮れてると思ってるのであります。
  名前のお判りになる方コメントに書込お願いです。

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2008/06/12

Wakayama Castle Now!

  ライトアップをしてるのは知っていたが何故か見落としていた。
  天守閣のライトアップは何処からでも見えるが「お橋廊下」は季節と共に街路樹が生い茂ってきて且つ奥まった場所ゆえ見えづらく、毎夜ウォーキングでお城周辺を何周かするのだけれど気づかず通り過ごしていた。

  この橋は近年復元された物ですがその昔は紀州藩主とそのおつきの者が二の丸と西の丸を往来するために使われたもの。
  外から見えないよう壁と屋根が設けられていた。そのうえ皆が通れる訳ではなかったとか。
  時代が変わって今は履物さえ脱げば誰でも通る事が出来る様になった、そう土足厳禁なのであります。

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2008/06/10

串本にて(トルコ軍艦遭難慰霊碑)

  日本とトルコの深い友好関係の原点がここ串本にあるのです、こちらをご覧ください。
  1890(明治23年)年9月16日夜半オスマン帝国(現トルコ)の軍艦Ertugrul号が和歌山県串本沖紀伊大島樫野崎に連なる岩礁に激突遭難した事件587人の死者行方不明を出す大惨事となった、知らせを受けた大島村樫野の住民(303人59戸)総出で救出と生存者の介抱に当たった。食料の蓄えも僅かだったにも関わらず住民達は非常用の食料さえも供出献身的に生存者の回復に努めた。この結果69人が救出され生還することが出来た・・・・以下はインターネットエルトゥールル号遭難事件」で検索してください、より詳しい内容がわかります
 
樫野崎灯台でも紹介した本書に、この事件についての詳しい状況が史実に基づいて詳しく記述されています。
○本書の内容
第1章寛政3年の紅毛船漂着
第2章明治3年イギリス人による樫野崎灯台建設
第3章明治13年のドイツ軍艦による「橋杭事件」
第4章明治19年の英船ノルマントン号座礁沈没事件
第5章明治23年のトルコ軍艦座礁沈没事件

  Ertugrul号が嵐の中激突した岩礁1890年から今も変わらず波に洗われています。写真中央部の一番上の岩礁がそれです。

  昭和12年5月Ertugrul号の遭難50周年記念をまえに忌魂碑が竣工、様式は本国トルコの忠魂碑に準じて造られた。中は納骨堂になってるらしい。

  トルコ記念館、地元のおばちゃんが説明してくれます。



  オスマン・パシャ海軍少将Ertugrul号の司令官とトルコ初代大統領ムスターファ・ケマル。
  アブドゥッラー・ギュル現トルコ大統領が7日に行われた追悼式典に出席、殉職将兵の霊を慰めた。
  トルコ大統領の慰霊碑訪問や追悼式典出席は初めてで和歌山県選出代議士や県知事、町長が出席追悼の言葉を述べたと新聞に。なお同大統領の訪日目的に追悼式典出席も入っていたそうです。外国のトップは来られるが日本の首相は未だ来た事ないねぇ。

  近くにあるトルコ人経営のお土産屋さん、他にもう1軒あります。トルコブルーの陶器なかなか良い色でしたしここのトルコアイスクリームも美味いですぞ、本場物ですからロッテ辺りから出てるトルコアイスとは物が違うよ。

*トルコ大統領の写真は「紀伊民報」のHPより転載
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2008/06/08

串本にて(樫野崎灯台)


  この灯台は慶応2年(1866年)、江戸幕府がイギリス、フランス、オランダ及びアメリカの4ケ国と締結した江戸条約で建設が決められた観音埼、劒埼、野島埼、神子元島、樫野埼、潮岬、伊王島、及び佐多岬各灯台の一つです。
  リチャード・ヘンリー・ブラントン(イギリス人)が我が国で最初に手がけた石造りの洋式灯台で明治2年(1869年)3月に着工され明治3年8月の完成を待たず同年7月8日に点灯して業務を開始した。当時灯台建設は諸外国にとっていかに急がれていたかを知ることが出来る。
なお、この灯台建設なまつわる様々な出来事に付いては地元在住の作家岡村嘉作氏の作品「熊野灘」にフィクションではあるが詳細に描かれている、と入口案内版に。
  サイドパーツのamazonで検索して見てください、入手可能のようですが一般の書店では購入は難しそうです。
  一読頂くと背景が良く解ると思いますよ(幕末から明治前半期西欧の風に翻弄された紀伊大島周辺の歴史にテーマを絞った作品。なお新資料の「尾鷲大庄屋文書」を基に旧作樫野崎を再構築したものだそうです)

  灯台に設置されてるプレートです、上記の記述と日付が異なりますが同敷地内の説明を転載したものです。点灯と本格的業務開始とは異なると言うことで。

  旧灯台事務所も石造りであります、当然ですが。

  少し離れた場所からの遠望ですが空の色に灯台が同化して判りづらい。なお左下の岩に付いては後日に。



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2008/06/07

到来品(Souvenir)

  タイ在住の知人からお土産を貰った

  写真に凝り出した娘のまねしてひねって見ましたが所詮付け焼き刃ですから。

  葉付きのレイシとマンゴスチン、彼の地から直接持参(東南アジアのこの手の果実は持ち込み可能なんだろうかね)されたものだけに新鮮で美味かった。これだって食べ方にコツが有るのですよ。

  ラーメン?とよく判らないスープ擬きのパッケージ

  説明を読もうにも英語表記は素っ気なく(それも判らぬ)タイ文字で説明が有りますが全く判りません。
  何れエイヤーで家内が作って毒味をさせられそうです。まぁインスタントラーメンのようですから日本と同じように作っても大はずれは無かろうと。

  パッケージの写真見るとコメを使ってるようで何やら日本の雑炊みたいな感じで有ります。これも主婦の本能的感覚で作れば何とかなるでしょう。栄養成分表と思われますが読めませんから想像するだけです。
  しかし、どの商品もクノール製でありますから特段怪しげなものでは無いようで一つだけ言えることはあちらの物は確実に辛いってこと。
  そして又この蒸せる暑さに食するとこれが又美味いのであります。
  胃腸の弱い方にはお勧め致しかねますがね(^_^)v


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2008/06/06

串本にて(田園風景)


  二色川、この川に水が流れてるのを始めてみた、多分この時期(梅雨)流れてるのでしょうが普段寄りつく所でないので知らないだけかも。ただ旧海軍航空隊がこの川を水源地として使い以後町営水道として使ってた経緯があるのと、当地は全国的にも多雨地帯だから十分水源地として賄えるだけの水は確保出来ていたのでしょうな。

  早々と田植も終わって。二毛作もやってやれないことはないらしいが市場性のあるお米が出来る訳でも無いし殆どが自家消費程度の規模の稲作ですから。

  ここまで成長してる。田植の早い理由は台風が発生すると潮岬南方海上○○km沖合・・・とよく新聞を賑わす地域ですから8月半ばには勝負して置かないと苦労が水泡と帰す危険性が有りますゆえに。

  珍しくはないがネギ坊主、採種用なんでしょう。田園風景の近くにはこんな光景も広がります。↓



  そうなんです、何せ海と山が背中合わせの町ですからね。

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2008/06/04

串本にて(串本漁港続き)

  以前にもちらっと触れましたが当地は磯釣りのメッカであります。
  主に京阪神方面からのアングラーが多いようです。
磯釣り、船釣り、浅海漁場付近での堤防からの釣りと全天候型の釣場故選択肢も豊富でそれだけに来られる方も多いのだろうと思う。
  以前はJRで来られる方が多かったが最近は高速道路もない田舎に車で来られる方が大半で漁港付近の駐車場は他府県ナンバーのクルマが不似合いな位駐車してる。

  これも大阪から来航のトローリングボート。最近は陸から海からアングラーが来られるのですよ。




  今は情報社会ですからスポーツ新聞や釣り雑誌は各地の渡船業者と協力の下で紙面を飾ってるんです。
  そう持ちつ持たれつの関係であります。
  皆さんはこの情報をみて今頃はココが釣果が上がってるとばかりに押し寄せるのでありますよ。
  でもタイミングや気象条件に左右されて情報通り釣果が上がってるアングラーは見かけませんが(-_-)
でもこれが釣りの面白さなんでしょう、次回はこの仇をと言いつつ女房、子供の冷たい視線浴びながら再び串本に来るのであります。

  最近の漁船の船首部分です、以前から大型タンカーや貨物船には有りました天狗の鼻擬きの物体バルバス・バウ(bulbous bow)球状船首と言うのですがスピードUPと燃費の向上を目的としており小型漁船にまで普及して来てる所をみると効果が有るのでしょうね。

  関係ないが漁港の駐車場付近にこんな看板が。そういつ起こっても不思議でない東南海地震を見据えた警告ですがこの場で地震に遭遇すればまずアウト。そうなんですこの場所での高さ5Mの津浪は「高いところへすぐ避難」の時間を与えてはくれないのですよ。

干からびたヒトデどの角度から見ても大の字に見えますね、自然の造形は美しい。


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2008/06/02

串本にて(串本漁港)

  串本は観光と沿岸漁業の町と言う事になっています。観光に従事している人は別にして平成17年度の国勢調査に因りますと漁業に従事する人の数は「528人」だそうです。
  串本漁港に繋船する地元の漁船のほか県外船が結構多いのです、漁場の関係も有るのでしょうが。

  徳島県のカツオ漁船であります。最近はこの手の漁船も小ぶりになりました、以前は300トン近い遠洋カツオ漁船もたまには見かけましたが。

  船首のホースはカツオ漁船独特のものです。ここから海水を放出して小魚が海面に群れている状況を擬似的に作ってカツオを欺すのですよ。但し右のタンクには本物の活き餌が入ってまして釣り始めは使いますが佳境に入るとホースの出番に。

  ここに乗ってカツオの一本釣りをするのです、油断すると海面に落下する事も有るのです、これは三重県のカツオ漁船です。釣竿は以前竹製でしたが今はグラスロッドです。

  地元のマグロ延縄漁船です、近海専門です。この業界は燃料の高騰等採算悪化で休漁検討中が多いとか。

  これも地元のきんちゃく網漁船です、魚群を網で囲んで一網打尽にするのです。田舎では「しばり」とも言います。

  帰港したカツオ漁船、これまた三重県の漁船であります。

  地元の漁船群です、ハワイから伝わったと言うケンケン漁の漁船もありますが見かける事が少なくなった。

  最近はきんちゃく網漁が主流のようで。但し船団の数は多くはない。以前は「夜炊」と言い集魚灯で集めた魚を獲るのが主流でありましたが人手不足と効率化の影響でしょうか、「夜炊」まだ有るのか確認はできませんでした。
  漁業は油の高騰や従事する人の高齢化等で先行きは明るいとは言い難い。(60歳以上が8338人41.8%80歳以上では2037人10.2%だもんね)H17国勢調査資料から

  獲る漁業から造る漁業へと言う事で浅海漁場(手前の生け簀群他)が造られ鯛やマグロの養殖(畜養)が行われています。
  獲る漁業の昔を知っているだけに寂しいですね、活気有る漁港の姿を再び見たい物です。
  幼き頃接岸された出航前の漁船のセミディーゼルエンジン(別名焼玉エンジンと言いディーゼルエンジンの漁船なんて無かった)の排気の匂いが好きだった、今のディーゼルエンジンの排気は戴けない。う~ん、ノスタルジーか?

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