串本にて(トルコ軍艦遭難慰霊碑)
日本とトルコの深い友好関係の原点がここ串本にあるのです、こちらをご覧ください。
1890(明治23年)年9月16日夜半オスマン帝国(現トルコ)の軍艦Ertugrul号が和歌山県串本沖紀伊大島樫野崎に連なる岩礁に激突遭難した事件587人の死者行方不明を出す大惨事となった、知らせを受けた大島村樫野の住民(303人59戸)総出で救出と生存者の介抱に当たった。食料の蓄えも僅かだったにも関わらず住民達は非常用の食料さえも供出献身的に生存者の回復に努めた。この結果69人が救出され生還することが出来た・・・・以下はインターネット「エルトゥールル号遭難事件」で検索してください、より詳しい内容がわかります。
樫野崎灯台でも紹介した本書に、この事件についての詳しい状況が史実に基づいて詳しく記述されています。
○本書の内容
第1章寛政3年の紅毛船漂着
第2章明治3年イギリス人による樫野崎灯台建設
第3章明治13年のドイツ軍艦による「橋杭事件」
第4章明治19年の英船ノルマントン号座礁沈没事件
第5章明治23年のトルコ軍艦座礁沈没事件
Ertugrul号が嵐の中激突した岩礁1890年から今も変わらず波に洗われています。写真中央部の一番上の岩礁がそれです。
昭和12年5月Ertugrul号の遭難50周年記念をまえに忌魂碑が竣工、様式は本国トルコの忠魂碑に準じて造られた。中は納骨堂になってるらしい。
トルコ記念館、地元のおばちゃんが説明してくれます。
オスマン・パシャ海軍少将Ertugrul号の司令官とトルコ初代大統領ムスターファ・ケマル。
アブドゥッラー・ギュル現トルコ大統領が7日に行われた追悼式典に出席、殉職将兵の霊を慰めた。
トルコ大統領の慰霊碑訪問や追悼式典出席は初めてで和歌山県選出代議士や県知事、町長が出席追悼の言葉を述べたと新聞に。なお同大統領の訪日目的に追悼式典出席も入っていたそうです。外国のトップは来られるが日本の首相は未だ来た事ないねぇ。
近くにあるトルコ人経営のお土産屋さん、他にもう1軒あります。トルコブルーの陶器なかなか良い色でしたしここのトルコアイスクリームも美味いですぞ、本場物ですからロッテ辺りから出てるトルコアイスとは物が違うよ。
*トルコ大統領の写真は「紀伊民報」のHPより転載
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1890(明治23年)年9月16日夜半オスマン帝国(現トルコ)の軍艦Ertugrul号が和歌山県串本沖紀伊大島樫野崎に連なる岩礁に激突遭難した事件587人の死者行方不明を出す大惨事となった、知らせを受けた大島村樫野の住民(303人59戸)総出で救出と生存者の介抱に当たった。食料の蓄えも僅かだったにも関わらず住民達は非常用の食料さえも供出献身的に生存者の回復に努めた。この結果69人が救出され生還することが出来た・・・・以下はインターネット「エルトゥールル号遭難事件」で検索してください、より詳しい内容がわかります。
樫野崎灯台でも紹介した本書に、この事件についての詳しい状況が史実に基づいて詳しく記述されています。
○本書の内容
第1章寛政3年の紅毛船漂着
第2章明治3年イギリス人による樫野崎灯台建設
第3章明治13年のドイツ軍艦による「橋杭事件」
第4章明治19年の英船ノルマントン号座礁沈没事件
第5章明治23年のトルコ軍艦座礁沈没事件
Ertugrul号が嵐の中激突した岩礁1890年から今も変わらず波に洗われています。写真中央部の一番上の岩礁がそれです。
昭和12年5月Ertugrul号の遭難50周年記念をまえに忌魂碑が竣工、様式は本国トルコの忠魂碑に準じて造られた。中は納骨堂になってるらしい。
トルコ記念館、地元のおばちゃんが説明してくれます。
オスマン・パシャ海軍少将Ertugrul号の司令官とトルコ初代大統領ムスターファ・ケマル。
アブドゥッラー・ギュル現トルコ大統領が7日に行われた追悼式典に出席、殉職将兵の霊を慰めた。
トルコ大統領の慰霊碑訪問や追悼式典出席は初めてで和歌山県選出代議士や県知事、町長が出席追悼の言葉を述べたと新聞に。なお同大統領の訪日目的に追悼式典出席も入っていたそうです。外国のトップは来られるが日本の首相は未だ来た事ないねぇ。
近くにあるトルコ人経営のお土産屋さん、他にもう1軒あります。トルコブルーの陶器なかなか良い色でしたしここのトルコアイスクリームも美味いですぞ、本場物ですからロッテ辺りから出てるトルコアイスとは物が違うよ。
*トルコ大統領の写真は「紀伊民報」のHPより転載
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コメント
Ertugrul号のことを今回初めてじっくりと
知ることが出来ました。串本の海に多くのトルコ人が眠っているとは・・・。次回串本に行った際は、海に向かって黙祷を捧げようと思います。
そしてトルコアイスも戴きます・・・。
町立体育館から見える島影の裏側になるのです。バスは一日5本、但し折り返しに1時間位あるから十分に見ることができますしトルコアイスを食する時間もありますが、それなりの努力がいるのです。
投稿: ラスカル | 2008/06/11 19:45
私は串本高校定時制卒業なので岡村先生の教え子です。なので「熊野灘」読んでみました、岡村先生らしい純文学的文章で懐かしく思いました。
特にドイツ軍艦の橋杭での事件など、歴史的には完全に忘れ去られている事件をよくも掘り起こしてくれたものだと感謝します。
これらの事件は現代日本にとって「単なる村おこしの一環」で、「ギネスブックに載せるための巨大焼き鳥」と同じレベルの出来事なんですね。
大統領閣下が来ているというのに、それもイスラム圏でありながらEU加盟をすら目指す21世紀の大国トルコの大統領に対してなんたる失礼。
脳天気ライダーさんこんにちは
トルコに関しては大統領自身今回の訪日の最大の成果は串本に行けた事だと何かで読んだ。せめて外務大臣でも案内して来るのが礼儀と思うが。1985年のイラン・イラク戦争のおりの日本人救出にトルコ航空の決死のフライトの恩義もあるのに礼儀知らずと思ってる(取り残された200人を日本は見捨てたのに)人が他にも居てたのはうれしいですな。
私も串高出身です。
投稿: 脳天気らいだー | 2008/09/16 21:41