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2009/03/30

京都洛東東山界隈

  二条城から闇迫る東山界隈を散策してみた、たまたま東山花灯路2009が開催中と言うことで・・・

  大雲院「祇園閣」祇園祭の鉾をイメージしてるそうです、見ての通りですね。ここは通常は非公開(特別公開はあるらしいが)ゆえ中には入れません、遠くから眺めるだけです。大盗賊石川五右衛門のお墓があるとか。

  法観寺「八坂の塔」、東山界隈のランドマーク的存在だと聞いた、私は知りませんでしたが。

  八坂神社です、円山公園側南楼門から入ると舞殿、本殿との順になります。

「舞殿」

「本殿」
  祇園祭は千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
  貞観11年(869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に当時の国の数66ヶ国に因んで66本の鉾をたて、祇園の神を祀り、さらに御輿を送って災厄の除去を祈ったことがはじまりで祇園祭は7月1日にはじまり31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで1ヶ月にわたって各種の神事・行事が繰り広げられる。
  迂闊ながら祇園祭は知ってたがここ八坂神社の祭礼とは知りませんでした。
  そう京都に興味を持ったのはリタイア後でありますので。

  「東山花灯路2009」イベントの一環で行われてる「いけばなプロムナード」でボリュウム感のある、いけばながアチコチに。

  舞子さんもチラホラ、人力車との取り合わせがなんとも京都東山界隈らしく思ったのですが。

イベントで舞子さんが祇園小唄を踊ってました。

  お寺なのか料亭なのか良く分かりませんが何故か京都らしい味のある光景でした。
  この近くには知恩院もあり、またお家騒動でもめてる一澤帆布や一澤信三郎帆布のお店も近場にありますので買い求めた手提げバッグの観光客もちらほら見受けました。



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2009/03/26

元離宮二条城

  二条城は徳川(将軍)家康が京都御所の守護と将軍上洛の時の宿泊所として造営し3代将軍家光により伏見城の遺構を移すなどして寛永3年(1626年)に完成したもの。
  豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光が作らせた絵画、彫刻などが統合されて桃山時代様式の全貌を垣間見ることが出来ると。
  徳川家の栄枯盛衰と歴史の移り変わりを見守ってきたお城だそうです。
見学は午後4時までで5時には閉門されます。民間がやってるわけでは無いので(京都市管理)実に官僚的であります。

東大手門、世界遺産二条城はここから見学します。

  番所です。徳川将軍不在の二条城は二条在番と呼ばれる江戸から派遣された武士によって警備され、この番所はそう言った武士の詰め所です。

唐門、彫刻がふんだんに使われてる。

  東南隅櫓、本来4隅にあったが西南隅櫓の2つが残ってるだけ。

表側から見た東南隅櫓

  二の丸御殿(国宝)、右側は車寄せ(当時は牛車)。桃山時代の武家風書院造りの代表的なもの。建物面積3300平方メートル、部屋数33畳は800余畳と。
  将軍と親藩大名との対面所や外様大名の対面所、他に将軍への貢ぎ物、献上品の取り次ぎ場所の式台の間、将軍の居間、寝室の白書院、大政奉還を決意した部屋等々がありますが撮影は出来ません。

  今頃はライトアップ(3/20~4/12まで)されて京都の数ある桜スポットの中で屈指を誇る二条城、桜花と白光の美しい饗宴が見られル頃でしょうが私が行ったのは中旬かつ閉門時間に近かったりでゆっくり見学とは行きませんでしたので心残りではあります。

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2009/03/22

清水寺「青龍会(せいりゅうえ)」

  「清水寺青龍会縁起」に依ると東山山系青龍の地に清水寺は位置し清水の涌きあふれる滝に、観音様の化身である龍が夜ごと飛来し水を飲むの伝えが清水寺に古くからあり、さらに本堂の東方に位置する奥の院南廊下の祠に夜叉神が祀られておりこの夜叉神が青龍の地を守り清水寺のご本尊の守護とともに京の都を昼夜休み無く警戒し人々の悪縁を絶ち良縁を結ぶ神として京の人々に信仰・畏怖されてきたと。
  清水寺創建1200有余年、ご本尊開帳の年平成12年3月3日ここ青龍の地に、音羽の滝の故事、夜叉神の畏怖が結びつき人々の安寧を祈願する青龍会が結成された。
  青龍会は法螺貝を吹く先布令を先頭に行道を指揮する会奉行そして観音加持を行う夜叉神さらに四天王が青龍の前後を守護し南無観を唱える十六善神 の神々が続く大群会行の行道との事です。












このお札?を頂くと何か良い事があるそうです

  青龍は8000枚の鱗をもち、その一枚一枚に経文が書かれた和紙が貼られてる。頭にも一面経文が書かれてあります





清水寺門前会の町を行道します

  毎年3月15~17日、4月3日(清水の日だそうです)、9月15~17日何れも午後2時から行われる。
  たまたま行った日が運良く青龍会の行われる日であった。
  青龍会当日は普段より人出が多いとの事で休日と重なって芋をこねる状態でありました。
  良いアングルで見ること叶わずでありました。

  「青龍」は京都の伝統工芸職人によって協力奉納されたものだそうです。

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2009/03/18

音羽山清水寺

  ここの舞台から飛び降りなければならないような差し迫った事情は無いけれどちょいと覗いて見ることにした。
  以前一度来たが清水寺への坂道に閉口して途中の喫茶店でお茶を濁して帰ってきた記憶が有る。
  今回行ってみて何でこの程度の坂道で行かなかったのか良く分からなかった、当時の方が体力あったはずなのに。

仁王門(重文)

西門(重文)

鐘楼(重文)

三重の塔、経堂、田村堂(何れも重文)

随求堂(ずいぐどう)

轟門(重文)

本堂(国宝)

 こんな感じです、高さ13㍍だそうです。ここに縦横に柱を組んで張り出した構造は地獄止めと言われ、一本の釘も使わない見事な構築は美しい。
 
  清水寺の古文書調査で、ことわざ通り(時代背景に「命をかけて飛び降りれば願い事が叶う」と言う江戸時代の庶民信仰が有ったらしい)1694年~1864年(記録のない年もあるので実質148年間の記録)の間実際に234件(未遂含む)の飛び降りがあり生存率85.4%だったそうな。年齢は12歳から80歳の老若男女が、出身も東北から四国まで結構広範囲にわたって飛び降りに来てたそうです。
  ただこれも明治5年(1872年)飛び降り禁止令以降柵など作られ下火になったと。
  近年では1995年2月80歳の淡路大震災の被災者の男性が2006年5月30~40歳の男性がこの舞台から飛び降り何れも亡くなってるとか。昔の方が樹木が多くて飛び降りてもクッションの役割を果たし、それ故に生存率が高かったのかもしれませんね。
  話が変な方向に行ってしまった、久しぶりに表題に即したネタだったのに。

(ネットで検索するとこの手の話一杯出てくるのね、酔狂な人が多いって事か)


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2009/03/13

春ウララ(来てくらんし串本へ)


  水温む季節になってきた。
  mont-bellから「大阪フレンドフェア」の案内が春・夏用カタログとともに送られてきた。
  昨年行ったときに初めて知ったのですが我が田舎はモンベル・フレンドタウンなのであります。
  何で観光協会のおっさん来てるのかと思ったらそう言うことでありました。
  ウミガメの子なんぞ持ち込んで子供たちに人気を博しておりました。
  モンベル・フレンドタウンになってる位ですから海と川のアウトドア遊びは結構揃ってるし川は清流で名高い古座川、これはカヌーイストの野田知佑氏も絶賛の場所でありますし気軽にカヌー遊びが体験できる所でもあります。
  何しろ川の沿線人口が稀薄ゆえ汚染とは無縁ですから。上流から河口まで透明度が非常に高く鮎や川エビなどの生物も豊富で釣りを楽しみながらのカヌーツーリングを楽しむには最高のロケーションです。    JR古座駅にはレンタルカヌーの艇庫やロッカールーム、シャワーが併設され駅前のカヌータクシーがツーリングスタート地点まで人とカヌーを一緒に運んでくれます(有料ですよ)。
  ゴール地点も駅近200mと漕ぎ終わったカヌーは回収してもらえるので着替えと弁当程度ですむと言う至れり尽くせりののシステムが完備してるから興味のある方一度ご来遊を。
  多分病みつきになると思います。野田知佑氏推薦の古座川の清流を自身で確かめてください。

 串本の 海と言えばサンゴ群落の北限と言われる北緯30°を超える位置に有りながらの見事な群生域はラムサール条約にも認定されているのです。
  世界最北、国内最大規模のサンゴが見ることの出来る唯一の場所なのです。沖縄まで行かなくてもサンゴの群生は楽しめるのです。
  平均水温約17℃冬でも6~8℃と一年を通じて温暖で湿潤な気候が保たれるため串本の海は世界的にも貴重な生態系をもつ場所でもあるのです。



  サンゴが群落を作る串本の海は非常に透明度の高いリアス式海岸で、複雑に入り込んだ海岸線は海側からしかアプローチ出来ない入り江や洞窟、無人島などシーカヤック・ダイビング・フィッシングにももってこいの変化に富んだフィールドが一杯です。
  高速道路もない不便な所でしかも山が海岸そばまで迫っており、森、川、海の連環が美しい自然を保っているのです。
  ダイビングが趣味の方は一度お越しください、それだけの価値はあると思いますよ。

写真はmont-bell発行の「OUTWARD」と串本町HPからの転載です。

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2009/03/08

どうでも良いけれど


  現役時代の同僚が定年を迎えるシーンが多くなっている。
  後4年、3年、1年、○ケ月とまぁ残余期間に比例して仕事に対する気持ちが希薄になってゆくのね。(だから私の元職場はその手の年齢になると職位定年制等と言う制度で給料や昇給を抑制してるイイ会社なのでありますが)
  定年が近くになるにつれて人の常として夢を見るようになるのです。(広辞苑によると夢とは「空想的な願望」と)
  無理は無いのです。例えばCUNARD LINEでワールドクルーズを楽しみたい(夢の範囲を超えて非現実的か)、山に登りたい、夫婦で気ままな旅に出たいと。  この辺りはまぁ現役時代は時間と休暇の問題で思うに任せずという言訳が存在してたので私も人ごとではなく良く分かります。
  夢と言うよりは思いを叶えると言った方が適当か。
  この手は定年によるゆとり(時間的、金銭的他)で解決出来る訳でありますから。
  なかには才能が必要な夢もあるんですな。例えば水彩画をやりたいとか。子会社出向時代に定年で辞めた御仁が居りましてこれが水彩画をやっと画く時間が出来たと画いた絵を職場の部屋に飾って悦にいってるんですな。しかも入り口のイヤでも目に入る場所にだ。当の御仁からイイ絵でしょうと同意を求められると私は優しいから(何でこんなものここに掛けるんだと腹ん中思って居ったのでありますが)露骨な事はせずニッコリ、どちらかと言うと褒め殺し的対応でありました訳ですが、彼氏曰くもう一人の同僚を指して彼はデリカシーに欠けると。
  彼は部屋の中に掛けてるのが気に入らず露骨に嫌な顔をしてたからでもありますが。
  この手のものは家庭内に止めておいて欲しいと思ったのであります。

  ところが最近よく知っている現役時代の職場の男(これまた定年まで片手でおつりが来る状態)が最近油絵をやりたいと。話聞いてるとセザンヌだかゴッホだか忘れたがあんな絵だったら自分にも画けると、だからやってみたいなんてことを漏らして居りました。
  私が知る限りにおいて○を画かせば□に近い絵を描く男が事もあろうに油絵と来たから目眩を感じた訳ですが。

  これを見て自分でも油絵が画けると思う早合点が空恐ろしい。
  夢ではなく妄想に近いのではと密かに思ってる今日この頃であります。

  可能か不可能か夢を見ること事態は悪いことではないから出来れば実現可能なものを空想していただきましょうかね、夢はあまり大きすぎると法螺になってしまう可能性もありますし。
  まぁ我ら庶民は夢と言うより定年になったら「何かしたい」の思いを実現する、これで行きましょうご同輩。  私は日本の先っぽ(四端)制覇を目論んで居りますが後、西端与那国島が残ってます.
  渡難と揶揄される所ゆえ遠すぎて、夢に終わるかもしれません。


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2009/03/04

足下の風景(その6)

  家の周りはどちらかと言うとビジネス街だ。近所には三大メガバンクの支店や中央郵便局、地裁、市役所等々。
  しかし周辺にはこんなお店も一杯あるのです。

  イタメシ屋、ランチタイムには近所の職場からそれなりに賑わってる。

  次世代大衆酒場「NERICHAGI」と銘うって和風メニューがメインにリニュアルした。以前は「蹴落」と言う名の韓国風料理がメインのすごく繁盛してる店だったがリニューアルを機会に店長が交代、以前の評判は下降気味ね。この手の店は味もさることながら店長やスタッフの人柄や気遣いが繁盛を左右するのです。

  「情熱ホルモン」、何故か若い女性が目立つ。右端和民はご存じ大手外食チェーン。

  「珉楽」中華料理店ランチタイムと夜間の営業。古くからある店で味もマズマズ評判よろし。

  これも「ソレイユ」と言うイタメシ屋それなりに続いてるからまずまずなのでしょう。

  赤提灯、付近には何軒かあるが看板変わってないのでそれぞれ共存してるようです。

  一番新しいお店、これもイタメシ屋さんだ。
  家の付近には結構な数の飲食店が存在してますが私は何処にも一歩も足を踏み入れてないのです。外食が嫌いと言う訳ではありませんが何故か行きませんネ。韓風は苦手(ニンニクがだめ)酒は飲まないから赤提灯用事なし、イタメシはナイフ、フォーク使いが下手、人様に見られて食べるなんて論外。ホルモンは嫌いでは無いが久しく食べてないなぁ。機会があれば行っても良いかと思ってるが情熱と言う名に引っかかる、もうそんな歳ではないし。
  しかし食い気旺盛、なれど食時制限と運動が最大の治療法と言う疾病が正直最大のネックなのです、これ以外の理由はなし。


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2009/03/01

(続)アメリカの常識、日本の常識

  死期を早める事を認めている国は現在のところベルギー、オランダ、スイスの三カ国。非公式には多くの国で当たり前に密やかに行われた来たありきたりの医療行為と。日本でも・・・・。

  なぜ先般(2/23)の続きを書いたかと言うと2月27日付の朝日新聞に日本救急医学会の特別委員会が07年10月に作った終末期医療に関するガイドラインに沿って、これまでに治る見込みがないと判断された患者数十人に延命治療が中止された可能性があることが救急医を対象にした同委員会のアンケートで分かった。中止を検討した医師も100人弱に上がるとも。
  救急医療では本人や家族の意思が分からないまま延命治療を続けるケースがある。日本の今の法制度では治療してもすぐ死亡すると予測される場合であっても医師が治療をやめれば刑事責任を問われかねない。 そうした事情は指針が出来た後もかわっておらず、この調査結果は終末期医療に影響を与えそうと。

  終末期の指針は「突然発症した重篤な疾病や不慮の事故などに対して適切な医療にもかかわらず死が間近に迫ってる状態」などと定義、本人の意思が明らかでなく、家族が判断出来ない場合、主治医を含む医療チームで延命治療を中止出来るとした。この判断は地方のかろうじて体裁を保っている公立(市町村立)病院では判断は出来るのでしょうか。

  こうした指針の普及ぶりを探ろうと同委員会が昨夏全国の救急医2700人余にアンケートした結果が前述の数値です。
  またこの指針を適用しようとしたが出来なかった理由は「法的問題未解決」「家族らの意見がまとまらなかった」等々判断の難しさが浮き彫りになっている。
  同委員会は今春、指針の実施状況を集める仕組みを整え問題点を掘り起こす方針だそうです。
  件のドクターブログもこの件についての問題提起ではなかろうかと思う。

  ところで、この様な状況で家族に科せられる判断は悩ましい心の問題でしょうからアメリカの一部の州の様に「制度」で何とかすると言う訳にも行かないでしょうし馴染まない気も、私的には。
  苦境に立つとYES NOをはっきり言えない優柔不断な日本人の性格(例外もありましょうが)だからでしょうか。それともその場でとった判断が後日身内からの攻撃の対象となり得る可能性も否定出来ないからか。
  医師にも家族にも難しい問題ですね。


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