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2009/05/29

元善光寺(飯田市座光寺)

  信州長野の善光寺と飯田の元善光寺、両方にお詣りしないと片詣りと言われているので行って来ました。
  この地(麻績の里、現飯田市座光寺)の住民本田善光が大阪堀江から一光三尊のご本尊を迎えたのが善光寺の起元(元は坐光寺と呼ばれた)でその後芋井の里(現長野市)移せとの如来のお告げで今の長野市に遷座、出来たお寺を本田善光の名をとって善光寺と名付けられた。

(遷座当時の善光寺跡だそうです、延命地蔵尊はかっての善光寺の本堂の場所を記すため建造された)
  これにより坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。勅命によって木彫りで同じ御尊像が残され、また仏勅によって月半ば15日間は必ず元善光寺の古里に帰って衆生を化益せんという誓願を残されたことから長野の善光寺と元善光寺の両方お詣りしないと片詣りと言われる所以だそうです。









  回向柱長野善光寺から比べると小さいが前立本尊につながってるのは同じ。触れて縁を結ぶのです。

  別名さつき寺と言われてるらしいが行った日は気温3℃と、そりゃ咲かないよな。両サイド全部さつきなんですがチラホラで。

  長野善光寺と比べれば静かなものでした。バスで団体さんが来るとドッと賑やかに、引き上げると静寂が。

  一応名物の座光寺まんじゅう。しかし客が多いのに品切れだった。多客の御開帳時、売る物が無いというノンビリさより売る気が無いのかと。(100余年の歴史がある老舗というが)

今日のおまけ
㊧柿の種㊨善光寺名物とうがらしの種です。当然とうがらしの種は辛い(HOT!)。物理的にも柿の種は辛いはずもなしね。しかし「柿の種」より「とうがらしの種」の方が大きいのはなぜ?

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2009/05/22

信州善光寺(後編)

AM6:10=お戒壇めぐり
  御本尊真下にある真っ暗闇の回廊を巡って「極楽の錠前」を探り当てて秘仏の御本尊と結縁する道場ですが真っ暗闇ですから前に誰が居てるのか何処を歩いてるのか判りません。
頼るは回廊の壁を伝うだけですが肝心の「極楽の錠前」が何処にあるのか判りませんからひたすら壁をまさぐるのみ。
  運が良ければ手に触れるのですが日頃の行いの悪い人は「極楽の錠前」に触れることも叶わず「ハイお疲れ様」と出口に押し出されてしまうのです。
  私はと言うと”ここにあるよ”と誰かが呟いたのを聞きつけて手を伸ばすと・・・・。しっかり握りしめて出てきました。事前にお戒壇の中では「ものを言ってはいけません」と注意されたものの親切に教えて呉れる人がいるのですハイ
AM6:40=お上人お数珠
  本堂の回廊で頭に数珠を頂戴しました。お上人って女性でありました、ここには女性の僧侶もいてるんですね、知りませんでした。

前に善光寺は特定の宗派を持たずと書きましたが天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)によって運営されており大本願は大寺院には珍しく尼寺なのです。住職は上人と呼ばれ現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主だそうです。

  境内全部を回った訳ではありません。善光寺蓮華院の案内でツボだけ押さえて風のごとくでありました。

  回向柱です。本堂前に立つ大きな角塔婆を回向柱と言い、この柱は本堂内々陣に安置された前立本尊「中尊阿弥陀如来」右手へと繋がる善の綱が結ばれていて、この柱に触れる事によって前立本尊と御縁が結ばれるのだそうです。

忠霊殿です、善光寺史料館でもあります。

AM7:00でこの賑わい老若男女問わずであります。

  TVで「おやき」が旨いと言ってたので雨中探し求めて(朝っぱらからやってる所探すのが大変でした)やっとありついたが味は不味くは無いのですが・・・でした。 中身の具材何種類かありましたがチョイスした具材が好みでは無かったって事で。ホテルの朝食の時間が気になって吟味スル間もなく、初もの故に正当評価とは言い難い。

  お数珠が2回、極楽の錠前、回向柱にも触れてこれでと期待したい所ですが普段の無信心からして無理かと。
  これからの精進が大切でありますよご同輩。
  AM7:15善光寺を退散して参りました。
 画像の一部に「善光寺御開帳参拝のつぼ」からの転載があります。

今日のおまけ(クイズです)
  
  牛に引かれて善光寺と言いますが善光寺山門の額の善の字は牛の絵になってるんだそうです。
  「善光寺」の字の中に5羽の鳩も書き込まれてると聞きました。
  さて何処にあるでしょうか?


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2009/05/15

信州善光寺(前編)

  牛に引かれて善光寺なんて昔の話、今はバスに揺られて善光寺であります。創建1400年の歴史を持つ古刹であります。当初は飯田に創建された善光寺は後642年現在地に遷座したと伝えられる。
  644年勅願により伽藍が造営され本田善光の名をとって善光寺と名付けられた。
  善光寺は特定の宗派を持たず、特に江戸時代男女平等な救いを説く寺院として女性参詣者を多く集めたことが特徴のお寺です。
  仏教が諸宗派に分かれる前からの寺院であることから宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。聞いた話によれば檀家も墓地も(善光寺関連を除いて)無いとか。

  由来(概略)に依ると本尊「一光三尊阿弥陀如来」は552年仏教伝来の折りに日本に伝えられた日本最古の仏像です。廃仏論争の最中廃仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てられ紆余曲折の後信濃国司の従者として都に上った本田善光によって信濃の国へ。当初は前述の通り飯田に祀られた。
詳細はこちらでご覧ください。

  参道(中央通り)AM5:00善光寺へ向かう人のみ、ヤッケ着込んで・・・寒かったのです。

仁王門、定額山の山号が。

三門(山門)
善光寺蓮華院の案内でスケジュール以下の通り

AM5:15=お数珠。
大勧進玄関でお坊さんが数珠で頭をなぜて呉れるのです。この写真はお数珠の終了後の大勧進の門前です。

大勧進堂内



本堂

AM5:55=前立本尊開帳。7年に一度御宝庫から本堂に迎えて開帳するのが善光寺前立本尊御開帳なのだそうです。
*前立本尊とはご本尊の前にお立ちになる仏様という意味だそうです。
本堂内部は撮影出来ませんので良く分かりませんが雰囲気だけ。大勢の人ですから頭越しに御開帳はよく見えませんでした。宿坊にお泊まりの信者さんが朝早くから良い場所に陣取りますからAM5:00頃出かけては無理ってもので。

今日のおまけ
  
  携帯でアクセスしてください、居ながらにして善光寺に。「信じる人にも、信じない人にもお慈悲が」阿弥陀如来は慈悲深いのです。合掌



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2009/05/11

信州長野

  長野と言えば真っ先に浮かぶは善光寺、松本、上高地、乗鞍岳。他にと言えば昔高校野球で名をはせた飯田長姫高校(年が分かるか)と冬期長野オリンピックおよび田中康夫前知事と真田昌幸の上田城位でしょうか。
  久しぶりに長野に足を踏み入れたが目的は冒頭に記した7年に一度の御開帳盛儀の善光寺詣であります。
  信仰心とは別物でありますが行けばそれなりに敬虔な気分にはなりますが。

長野駅近くのホテルの部屋から、山には残雪が戸隠の方向?

  ホテルで貰った地図で善光寺迄の道をチェック、何しろ善光寺に行く日は午前4時起床予定でありますから下調べをと思ったら何とホテル前から真っ直ぐの一本道であった。中央通りは善光寺への参道でもあるのです、道に沿って灯ろうがありますのでそれに沿って行けば否応なしに善光寺の山門に至ります。

善光寺入り口から長野駅方面

善光寺入り口、これから先、宿坊が多い。

山門(三門)遠望、両サイドお土産屋さんがビッシリ。

 むじな地蔵、善光寺参道白蓮坊前にあります。彫刻家の藪内佐斗司氏の作品だそうです。
  どこかで見た顔とよく考えて見たら奈良の「せんとくん」に似てるように思った。
  画像が小さいので比較するのには無理がありますがむじな地蔵妙に愛らしいのであります、また狸もとぼけてるのであります。実は同一作家のものらしいよ。

  この辺りでは有名な八幡屋磯五郎という唐辛子のお店、長野って唐辛子の産地だったのかね。

今日のおまけ

  柿の種というお菓子はビールのおつまみに良く見かけますがこれは「とうがらしの種」なるお菓子です。私は初めてお目にかかりました。
  上の八幡屋磯五郎の唐辛子を使ったもの。味は唐辛子とは思えない辛さ、でも旨いのですよ。
 

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2009/05/04

飯田水引

  水引は長野県飯田で作られる伝統工芸品です。
  水引の意味も知らなかったが「結ぶ」と言う意味を持ち「人と人」「心と心」を結ぶ物として昔から多岐にわたって使われているんだそうです。
  水引の由来は飛鳥時代遣隋使小野妹子が帰朝した際、随の答礼使からの贈り物に、航海の無事と平穏を祈り紅白の麻紐が結ばれていた事が始めといわれている。この時より宮中への献上品は紅白の麻紐で結ぶ慣例となり、のち平安時代に水引と呼ばれるようになった。
  飯田水引の歴史は昔から和紙作りが盛んである飯田において、江戸時代に藩主が武士に製造法を習わせたのが始まりと。
  昭和に入って水引の様々な結び方が開発され「金封」「結納品」「水引細工」の生産が増え全国の70%が飯田で生産される様になった。
  1998年長野オリンピック、パラリンピックが開催されパラリンピックの入賞者には水引製月桂冠が参加した選手や役員、海外報道関係者には飯田の水引工芸品が配られた。慶弔用袋等に掛けられた紅白、黒白の水引くらいしか知らない身にはBigSurpriseでしたな。

以下、水引で作られた作品の数々です。


  宝船、意匠の善し悪しは別にして綺麗に仕上がってました。水引は和の物ですからこう言う意匠になるのかもしれませんが。

浦島太郎を竜宮城に連れて行った亀らしい。

  何故に若乃花がと思いますでしょう?実は髷を結う時に使う元結いはここ、飯田水引が一手に相撲協会に納めてるのです。元結無くして関取の髷は結えません。

使用水引15000本制作期間半年だって。

  全て水引で作られてます。何ににしても大変な作業を経て作品が出来上がるのです。
  ここに掲載した水引作品は「水引ドライブイン併設の水引博物館のものです。このドライブイン曰く「日本一」の水引博物館だそうです。

今日のおまけ
  カーネル・サンダースですが時節柄節句の出で立ちです。
  季節によって色んなコスチュームを着せられてご苦労さんです。
  まぁ道頓堀に投げ込まれる事を思えばまだましだとは言ってませんでしたが。

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