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2009/06/30

観音寺(高野山真言宗)

暑くなってくると寄る年波に出歩くのも億劫になってきます。
勢い近場で何かないかと思って何時も行くショッピングセンターの周辺うろついてみた。
この辺はその昔寺町(現在は元寺町)と呼ばれお寺が沢山有ったところとかで何か歴史の欠片でもと・・・・・・。
有りましたね、ショッピングセンターの建物の陰に隠れるようにひっそりと佇んでる観音寺という古刹(小刹?)が。
1594年行範開基と言う旧大手広芝より1641年嘉家作に移り永く厄除け祈願寺として上の観音と称せられ明治年間に下の観音(紫雲山先手院)と合併、市の区画整理により昭和26年今の地に転じた、と古びた案内板に。

小さいながらも山門には仁王像が、これには驚いた。

説明が無いのでいつ頃の物かは不明。

ちょいと見にはソテツがあったりして南国風の佇まいです。

いかにも夏らしく草木が生い茂って木陰を作ってる









  古びた一枚のポスター「心の姿」が心なしかボンヤリって感じが。
  ショッピングセンターの真裏と言う立地にもかかわらず人気は無く静かなものです。但し道路側は当該センターの駐車場がありますので車が通る通る。

  ここも紀州徳川家ゆかりの地なのだそうです。なお井原西鶴の「西鶴諸国咄」にも当寺を題材とした「傘の御託宣」が残されてるとか。

今日のおまけ
最近社寺関係が多い。そのせいでも無かろうがこの2週間に3度知人の不幸ごとに見舞われた。うち2件は想定外で良くないのは承知してはいたが、こう立て続けに黄泉の世界に行くとは思はなかった。
冥福を祈りたい

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2009/06/25

ますます寒い咄(話)

マイコミジャーナルからの転載ですが・・・・。
「経済協力開発機構(OECD)加盟国における公的年金や定年後の収入実態を調査した報告書が23日公表された。
報告書によると、2005年における65歳以上の日本人で、OECDが貧困基準として定める、全世帯における所得分布の中央値の1/2未満の所得の人の割合は22%。OECD平均の13.3%を上回り、主要先進国(G7)では、アメリカに次ぐ高齢者の貧困度合いとなった。
一方、現役就労時の所得に対して老後に受給できる公的年金額の割合を示した「所得代替率」では、日本は平均所得者で33.9%、低所得者層で47.1%と、それぞれG7中イギリス、ドイツに次いでワースト2位。
OECD平均のそれぞれ59%、71.9%に対して極めて低い水準にある他、比較対象が異なるものの、国民年金法で保証する所得代替率50%以上にはほど遠い実態が垣間見える結果となった。
また、高齢者世帯の総収入における定年後の就労収入が占める割合では、日本は44%。OECDの平均20%に対して、2倍近くに及ぶことがわかった。」

以下私的つぶやきです。
日本の年金水準からして、働かないと年金だけでは生活出来ないと言う事の証明ですね。高齢者の貧困度合いと相通じる実態がはっきり示された。
2005年のデータですが2009年の今、事態は改善の方向と言うよりはむしろ悪化に向いているのでは。

姑息に支給年齢を段階的にずらし、つまらぬ保養施設作って驚愕するような価格で国と癒着したような業者に売りさばき、発生した損失、年金の金額誤り不支給等々、更に年金なんとか便だのそれに付随する諸々の経費、自分たちのしでかした始末のための残業代までも。
全て我々が納めた年金保険料で賄う質の悪い慣習がある限り、所得代替率50%なんて数字は星の彼方だと思いませんかね。



つまらぬ話ゆえ彩りの花二輪、この花は雨の中でないと冴えないね、まぁ冴えない話だから良いか。


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2009/06/23

これで良いのか寒い咄(話)

  先々週から先週にかけて2週間の間に3度の不幸ごとに巡り合わせた。過去年に2度程度は記憶有るが2週間で3度はnew recordであります。
  平均余命を天寿とするならこの3方何れも天寿全うすることなくこの世を去ることとなった。さぞ無念のことでありましたでしょう。と思いつつ国勢調査のデータ眺めて些か寒気が・・・・・・。


  一人は79歳♂、この簡易生命表からすればほぼ88歳まで生きられたものを。いま一人も79歳♀だから91歳まで、もう一方は66歳♂ほぼ84歳と算術上ではありますが。但し長命を全うスルのは嬉しい事なのかは判断いたしかねる、今の日本の政治では。
  この表のごとく、皆さんが生を全うするとなると介護費用や介護による家族の負担が大変な事になりますよね。切り捨て流行の今の介護が将来どういう事になるのか見当もつきませぬ。上がるのは介護保険料で、今負担を強いられてる皆さんが介護年齢に達したころの福祉はどうなっているのか考えるだけでソラ恐ろしい。


  年金の負担だってこの状態ですから、今現役の皆さん(新人、旧人問わず)の将来の負担増を思うと現在年金の支給を受けてるミニは肩身の狭い思いでありますが。
  まぁ過去負担をして来たよとの言い訳もありますがその当時は分母の数字が大きかった。
  同一線上で論じるには公平では無いような気もするが社会的構造の変化も併せて論じないと一概にはのう。

しかし問題は↓ここだよね。
  厚労省にお願いしたいこと(言いたいこと)は集めた年金、介護保険料は純粋にその目的のみにお使い頂いて自分たちの下らないミスで招いた今の混乱に掛かる人件費やコンピュータ経費だの、つまらぬ箱物や天下り外郭団体への流用諸々等誰が考えても理不尽な使い方はこの際おやめ頂くとして。
  必要な経費は国民の同意のうえ税金で賄われるようにお願いしたいですな。

  他にもどう使われてるか解らん海外援助に大判振る舞いするお金アルのなら自国民の福祉に回してもらう、これこそ民意だと思うよ。

今日のおまけ(なると良いな)
  少子高齢化の時代です、議員さんも少しは流れを替えて現状に安寧してる国家公務員その他の皆さんに改革と言う名の刺激を。
  今囁かれている衆議院の解散で体制の変化を超~期待する今日この頃ではあります。

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2009/06/17

(続)雑学善光寺

  川中島の戦いは善光寺とは無縁では有りません。

  千曲川です、この両岸で繰り広げられたのが川中島の戦いであります。
  1553年善光寺を巻き込んだ12年にわたる戦乱が始まる。武田信玄、上杉謙信が5回にわたり激戦を繰り広げた「川中島の戦い」として皆さんご存じの話ですよね。
信玄は甲斐(山梨)を本拠地とし、謙信は越後(新潟)を本拠とする。
  互いに信州の支配を巡って執拗に戦を繰り広げたが決着をみることは無かった。
  長期の合戦と言えば11年に及んだ応仁の乱や12年に及んだ石山の合戦が知られてるところでありますが(こんなに長期に戦ったとは知らなかった)。
  応仁の乱は怨霊合戦と言われ畠山政長が京都の聖地上御霊神社に陣を敷いたことが皇族らを刺激戦乱の拡大を招いたと。結局勝敗は決しなかった。
  石山の合戦も石山本願寺が置かれた現大阪城の建つ聖地を織田信長が欲しがって攻め続けるが勝敗はつかず本願寺が和睦に応じて決着したと。
  決着のつかない長期に渉る合戦の多くは聖地を巡る紛争戦だと言う説があるんだそうな。
  川中島の戦いも信玄や謙信が欲しかったのは領地や勢力の拡大よりも善光寺が建つ聖地だと・・・・。





  1555年第二次川中島の合戦で信玄が善光寺を手に入れた。
その後謙信が善光寺奮回のため出陣犀川を挟んで両軍200日にわたり対峙、今川義元の仲介で和睦善光寺は謙信が手に入れた。
  善光寺本尊の奮争戰を繰り広げた二人の武将はまるで本尊の祟りで有るかの様な最後を遂げた。
  信玄は合戦の負傷し全国制覇の夢虚しく53歳で他界、謙信も厠で倒れ(脳卒中)天下を取ることなくそのまま死んだ。
  織田信長も甲斐善光寺の本尊を岐阜城下に移したばかりに本能寺で非業の死を遂げた。
  徳川家康、豊臣秀吉も本尊を動かしたが家康の夢枕に立った本尊が余は善光寺に帰ると。渋々家康は甲斐善光寺に返したが秀吉も同じく夢枕に余は信濃に帰るとお告げがあった。本尊は42年ぶりに長野に戻ったが帰すのが遅過ぎて本尊を見送ったその翌日秀吉は亡くなった。
  渋々ながら唯一すぐに本尊を返した家康の夢を本尊が叶えたと。
  この手の話はまだまだありますが続きは宮元健次著「善光寺の謎」を読んでください。本文も一部(始終)が同書からの転載です。

今日のおまけ
週に何回か回ってくるゴミ収集車、ここでも私の田舎でも朝早くから来るのに何で「夕焼け小焼け」を流しながらなんだろうと。まぁこの曲聴けば条件反射でゴミ収集だと判るように頭の中に刷り込まれてますが。
つまらぬ事でありますが、そこが解らんのであります。
いきさつご存じのかた書き込みを


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2009/06/11

Wakayama Castle now!(リス)

  近畿地方梅雨入りした模様と気象庁が発表したとたん快晴に恵まれた今日久しぶりに天守閣近くのリスのたまり場に行ってみた。





水場で頭突っ込んで、のどが渇いたのだ。

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2009/06/05

雑学善光寺

  本家信州善光寺、飯田元善光寺、甲斐善光寺、祖父江善光寺、関善光寺、岐阜善光寺と今回の7年に一度の盛儀「御開帳」を同時に行った6善光寺です。
  6つの善光寺で同時に御開帳を行うのは史上初めての事だそうです。ところで
①善光寺を正式な寺名とする寺院はどれ位あると思いますか?
②善光寺本尊と同じ一つの光背に本尊と脇侍の三尊が収まる善光寺式「一光三尊」形式の仏像の数はどれ位あると思いますか?
向かって
 ㊨観音菩薩
 ㊥阿弥陀如来
 ㊧勢至菩薩
 高さ
  ㊨30.5cm

 ㊥42.4cm
   ㊧30.2cmと以外に小さな仏様なんですね。
  なお、信州善光寺の前立本尊そっくりの阿弥陀三尊像がドイツ・リンデン民俗学博物館にあり同じ鋳型で作られた可能性がアルとか。同様の前立阿弥陀三尊は善光寺信仰の広がりとともに全国各地で作られたがここまで似てるのはまれ。袈裟の衣紋や体型、顔立ちが極めて似ていると指摘されているそうです。
  善光寺の寺務総長は比較調査を検討して行きたいと・・・そんな話がここに。
  大回向柱(高さ30㍍一辺45㌢の杉材で樹齢約250年以上の御神木を松代町の神社境内から切り出して白木のまま用いる。回向柱には梵語で「空」「風」「火」「水」「地」の五文字宇宙の構成要素を表してると言われている。五文字の下の南面には「奉開龕(がん)前立本尊」西面には「光明編照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨」と阿弥陀の功徳が書かれている。
  回向とは自身の善行と功徳を他に施すことと言われ、仏事、法事や布施を行い、死者の浄土往生を願う事を指すのだそうです。
  大回向柱の由来はインドの「ストゥーパ」から発しておりこれが日本にもたらされると三重塔や五重塔のような恒久的なものと供養のために墓に建てる卒塔婆に変化。卒塔婆は「ストゥーパ」の音に漢字をあてたものだと宮元健次著「善光寺の謎」に。行く前に知ってれば大回向柱前から後ろからしっかり見て来るのだったが無知故に・・・・。
③善光寺は度々火災に見舞われている。記録に残る回数は何回と思います?現在の本堂は1707年に再建されたもので、以後火災とはご無沙汰になってる。

  善光寺の本尊は「絶対秘仏」でありますから例え住職でも見ることは出来ません。7年に1度御開帳される前立本尊は本尊を忠実に写したレプリカです(レプリカと言えども重文です)。
  日本三大秘仏は「善光寺阿弥陀如来像」「東大寺二月堂の十一面観音菩薩像」「浅草寺聖観音菩薩像」ですが浅草寺の観音像は江戸時代に本当に有るのかと疑われ1869年6月明治政府の社寺役が天皇命令と言って強引に厨子廚子を開け確認したとか。
善光寺の本尊も江戸時代存在が疑われた。「別当」の子孫が自分が持ってる、善光寺には存在しないと言い出して1692年12月高僧敬諶に検分させその折り多数の人々に存在が目撃されたと言う。破損はしてるが実在してると見られると。
  東大寺の仏像は江戸時代火災にあい、その際持ち出されたが火災にあった跡があるうえ破片が奈良国立博物館に保存されていることからかなり破損してると言われている。
  いずれにしても絶対秘仏は破損がひどいから絶対秘仏になったとみてよかろうと。

①119ヶ寺
②443体
③11回

この話まだあります。

今日のおまけ
  仏教の話しとは表裏一体かもしれませんが(笑)
  以前○○musicなる所で「身障者割引」とあった。あの手の出し物は健常者だろうと身障者だろうと動機の不純さにおいては変わりなく割引という制度は馴染まない気がしたが(今も有るのかは知らない)。

  同じような話で、最近とあるLOVE HOTELで「シルバー割引」なる電光掲示が(カメラ持って無かったのは残念)。時期が定額給付と時を同じくしてでありますが最近のシルバーはお元気なのでしょうか。
  シルバー世代の私としては驚愕の一言でありますハイ。

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