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2009/06/05

雑学善光寺

  本家信州善光寺、飯田元善光寺、甲斐善光寺、祖父江善光寺、関善光寺、岐阜善光寺と今回の7年に一度の盛儀「御開帳」を同時に行った6善光寺です。
  6つの善光寺で同時に御開帳を行うのは史上初めての事だそうです。ところで
①善光寺を正式な寺名とする寺院はどれ位あると思いますか?
②善光寺本尊と同じ一つの光背に本尊と脇侍の三尊が収まる善光寺式「一光三尊」形式の仏像の数はどれ位あると思いますか?
向かって
 ㊨観音菩薩
 ㊥阿弥陀如来
 ㊧勢至菩薩
 高さ
  ㊨30.5cm

 ㊥42.4cm
   ㊧30.2cmと以外に小さな仏様なんですね。
  なお、信州善光寺の前立本尊そっくりの阿弥陀三尊像がドイツ・リンデン民俗学博物館にあり同じ鋳型で作られた可能性がアルとか。同様の前立阿弥陀三尊は善光寺信仰の広がりとともに全国各地で作られたがここまで似てるのはまれ。袈裟の衣紋や体型、顔立ちが極めて似ていると指摘されているそうです。
  善光寺の寺務総長は比較調査を検討して行きたいと・・・そんな話がここに。
  大回向柱(高さ30㍍一辺45㌢の杉材で樹齢約250年以上の御神木を松代町の神社境内から切り出して白木のまま用いる。回向柱には梵語で「空」「風」「火」「水」「地」の五文字宇宙の構成要素を表してると言われている。五文字の下の南面には「奉開龕(がん)前立本尊」西面には「光明編照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨」と阿弥陀の功徳が書かれている。
  回向とは自身の善行と功徳を他に施すことと言われ、仏事、法事や布施を行い、死者の浄土往生を願う事を指すのだそうです。
  大回向柱の由来はインドの「ストゥーパ」から発しておりこれが日本にもたらされると三重塔や五重塔のような恒久的なものと供養のために墓に建てる卒塔婆に変化。卒塔婆は「ストゥーパ」の音に漢字をあてたものだと宮元健次著「善光寺の謎」に。行く前に知ってれば大回向柱前から後ろからしっかり見て来るのだったが無知故に・・・・。
③善光寺は度々火災に見舞われている。記録に残る回数は何回と思います?現在の本堂は1707年に再建されたもので、以後火災とはご無沙汰になってる。

  善光寺の本尊は「絶対秘仏」でありますから例え住職でも見ることは出来ません。7年に1度御開帳される前立本尊は本尊を忠実に写したレプリカです(レプリカと言えども重文です)。
  日本三大秘仏は「善光寺阿弥陀如来像」「東大寺二月堂の十一面観音菩薩像」「浅草寺聖観音菩薩像」ですが浅草寺の観音像は江戸時代に本当に有るのかと疑われ1869年6月明治政府の社寺役が天皇命令と言って強引に厨子廚子を開け確認したとか。
善光寺の本尊も江戸時代存在が疑われた。「別当」の子孫が自分が持ってる、善光寺には存在しないと言い出して1692年12月高僧敬諶に検分させその折り多数の人々に存在が目撃されたと言う。破損はしてるが実在してると見られると。
  東大寺の仏像は江戸時代火災にあい、その際持ち出されたが火災にあった跡があるうえ破片が奈良国立博物館に保存されていることからかなり破損してると言われている。
  いずれにしても絶対秘仏は破損がひどいから絶対秘仏になったとみてよかろうと。

①119ヶ寺
②443体
③11回

この話まだあります。

今日のおまけ
  仏教の話しとは表裏一体かもしれませんが(笑)
  以前○○musicなる所で「身障者割引」とあった。あの手の出し物は健常者だろうと身障者だろうと動機の不純さにおいては変わりなく割引という制度は馴染まない気がしたが(今も有るのかは知らない)。

  同じような話で、最近とあるLOVE HOTELで「シルバー割引」なる電光掲示が(カメラ持って無かったのは残念)。時期が定額給付と時を同じくしてでありますが最近のシルバーはお元気なのでしょうか。
  シルバー世代の私としては驚愕の一言でありますハイ。

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