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2010/01/13

田舎の知られざる事実(その1)

昭和2年に起こった「良栄丸遭難事件」、高校時代に現代教養文庫(倒産して現存せず)の「海の怪奇」(庄司浅水著)と言うノンフィクションを読んで凡その内容は知って居たのですが、最近入手した国土交通省近畿地方整備局和歌山港湾事務所が協力、発行された「神坂次郎の紀伊半島再発見」(非売品)に「良栄丸の悲劇」として紹介されてたのを読んで、以前読んだ話を思い出した。
帰省したついでに先祖の墓参兼ねて「良栄丸遭難之碑」を訪ねてみた。
遭難に係る概略は、大正15年9月14日和歌山県和深村(現串本町)田子港を出港、神奈川県三崎港を経て千葉県銚子からマグロ漁に従事するため漁場に向かったが機関故障で11ケ月余り漂流後アメリカワシントン州沿岸に漂着。船内に白骨化やミイラ化した遺体が発見され「ミイラ船」として日本中の新聞が報じた。
船室の床や壁から多量の血痕が発見されたところから乗組員同士が最後に殺し合いをし人肉を食いあったのではないかと忌まわしい噂も立てられた。
イエロー新聞によるデマで興味本位の話に仕立てられたが、現実には航海日誌も発見され真実は明らかになっている。昭和2年5月11日まで日誌は書かれており、その時点三鬼船長が亡くなり一人残された松本源之助は日誌を続ける気力も無くし航海日誌はこの日付で終わってる。



串本の共同墓地入り口にある「良栄丸遭難之碑」表面側の銘文、墓参の人は必ず遭難之碑前を通のですが、誰も顧みないのは残念であります。
貴重な歴史の証人なのですが。

遭難之碑裏面に遺書が↓

お気づきでしょうか、遺書の日付が大正16年と。
乗組員は、元号が変わったのを知らなかったのです。
今の人は殆ど知らない田舎の歴史の一コマです。

航海日誌はこちら(5/11以降欠落)
参考wikipedia


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