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2010/04/28

台北の夜

鼎泰豐で夕食を摂ってナイトツアーに出かけた。
と言えば格好が良いが高さ501mの「TAIPEI101」と言う元世界一(2004年?)の高層ビルに。

今年の1月ドバイのBurj Khalifaに世界一を奪われ、過去形とあいなった。

(Googleの画像検索より転載)
まぁ台北のランドマークですな。
煙と○○は高い所が好きと言いますが、88階の展望台に行くエレベーター結構待たされるのであります。その間、何時撮られたのか知らないがエレベーターの順番が来る頃に記念写真として売りつけに来るのです。まぁ大して強制する訳では無いのですが待ち時間ちゃっかり利用して商機逞しいです。
修正してくれたのかと思うほど良い男に撮れてましたが私は自分の写真買う趣味がありませんのでノーサンキューと言う事で失礼した。
88階の展望台、ここにもキッチリお土産と言うには良い値段の珊瑚製品が置いてありました。
160軒もブランドショップその他入ってる訳ですから何処に行ってもショップが目に入って・・・・。



下から見上げて見ましたが、夜間でもありその高さ故、全体像は判りませんでした。

展望台からの台北市内です。写真が小さい上、暗くて今一良く判りません。
コンデジのせいでなく腕のせいです悪しからず。

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2010/04/24

九份(その2)

みやげ売りの声を振り切って基山街抜け豎崎路へ、ここからは狭い急な階段を下ります。

「千と千尋の神隠し」のモデルとなった街として紹介されたため一躍知名度が上がり訪れる観光客が増えたとか。日本人が増えたって事かな?
言われて見れば何となく納得する景観です。

真意はどうかは知りませんが、歌手の一青窈の父親が九份の元金鉱主だった。九份は亡き父の故郷だと。

坑道模したレトロな洞窟擬きの入り口の「芋仔蕃薯」なるお店。台湾の家庭料理の店だとか、店のおばちゃん日本語流暢だって。三人娘(おばちゃん)邪魔だったが、なかなかどけて呉れずやむなくパチリ
入り口は落書きだらけ。

当時の模様を再現した像が坂道の途中にあった。

赤い提灯はこの国のトレードマークだね。何処に行ってもマズこれです。
この坂道、登りでなく下りでよかったよ。


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2010/04/19

九份(チョウフェン)その1

太平洋見下ろす山の斜面にへばりつくように広がる九份の町、かっては金鉱の町として栄えた。
閉山後は衰退の一途をたどったが、映画「非情城市」で脚光を浴びたレトロな街で、細い路地と階段の坂が特徴で、その独特の街並みが受けて、休日ともなれば国内外を問わず大勢の観光客が来るようになったそうです。
舊道口からスタート↓

取りあえず街の説明を受けて↓

そぞろ歩き始めました。両側お土産屋さんも沢山花蓮や高雄でも同じような物を売ってましたが、ここの方が安かった↓

基山街を抜けると見晴らしの良い所に出ました↓
瑞浜方面?太平洋が見渡せました。基隆はドッチの方角なんでしょうかね↓

我がツアーの大阪のおばちゃん達、見るからに強者でありましたよ、日本語通じるし値切る値切る↓

何処から現れたのか軽四が、何処へどうして行くのか興味津々でありましたが↓

お土産街を強引に(彼の地の住民には日常的なんでしょうが)突っ込んで何処かへ消えてゆきました。


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2010/04/15

瑞芳から九份へ

この辺りまで来ると、基隆も近いし台北だってすぐ近くと言う事で周りの雰囲気も花蓮辺りと比べると、いささか異なる。
花蓮駅前には無かった光景、常設屋台?から良いにおいが漂って来ました。

皆さん良く働くのだ。
中華系(台湾でこういう言い方は正しいのか判りませんが)は商売にかけては逞しいです。

人も多ければ、街自身も活気がある。東部台湾のおっとり風から打って変わって、忙しい街の佇まいです。
台北に近いだけに人の往来も盛んなんでしょう。
このバスだって台北から九份へ向かう路線バスですから。

朝っぱらから食べ物やさんが沢山出てる所を見ると、ここで朝食摂るサラリーマン?も多いのかな。中華系は外食文化らしいから付近から食事に繰り出して来るのかも。
何処も同じで、低脂肪だの何だの表示してる所を見ると、その方が若い世代に受けが良いのかね。

ここ瑞芳は、台北方面からの九份観光の玄関口でありますから、こういったお店も多いのでしょう。

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2010/04/12

花蓮から瑞芳

花蓮から九份へ台湾鐵路局の特急に乗って瑞芳へ、瑞芳は九份への最寄り駅と言う事で、しばし鐵路の旅を楽しんだ。
北回り線開通して30年とかで結構整備されてました。
駅前は日本とは雰囲気似てる感じを受けました。
まぁ、花蓮県のキャピタルですから、落ち着いた中にもそれにふさわしい風情でありました。
台湾も東海岸側は大都市も無く人口密度も希薄な感じでありますが、住むには台湾の原風景が残ってるようで、良いのではないかと思った。
台北、花蓮間自強号と言う特急が1日20往復ほど運転されてると言う話でありました。

花蓮駅前風景、台湾東海岸側は何かとゆったりです。

花蓮駅

待合室

改札、切符見せた記憶なし、そのまま改札通過。停車中の列車がこれから乗る自強号です。

ドアの開閉形態が日本では殆ど内側ですが、自強号は外側にスライドします。ここも朱色が目立ちます。

特急車内、日本と余り変わりませんが、頭上の網棚が若干大きいかと。
中程のおっさん今回のガイド李さんです、日本へも良くツアーで来るらしい。何処かで行き当たるかもね。

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2010/04/10

花蓮の夜

花蓮は美しい名を持つ東部台湾最大の街です。
先住民族のアミ族が長閑に暮らす未開の土地であったが、この土地の開発が始まったのは1851年のこと。その後漢人が入植農業に従事、日本統治時代には日本人の移住者も多かった。今も日本統治時代の影響で比較的日本語が通じやすいと・・・・。
夜は当然の如くアミ族のショー見学が定番です。きちっと流暢な日本語でショウーの説明がありましたよ。

北海道の阿寒湖あたりのアイヌの民族ショーと似たような感じでありました。







ここは大理石の産地ですから床は当然大理石張りでありました。



観衆を巻き込んで一緒に、意外に皆さん指名されると躊躇なく出て行きます。かく言う私も足をますぼらせながら一汗かきました。

そう言えば花蓮の道路の歩道にも大理石が敷き詰めてあったような。

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2010/04/05

太魯閣峡谷(その4)

太魯閣のネイチャーセンターです。



太魯閣川の清流眺めながらの一杯のコーヒーは中々の物です。

慈母橋、何かいわれがが有りそうな名前ですが、「慈母橋原橋興建於民国四十八年間・由・蒋故総統経國先生命名・為一全寛五、一公尺・全長七十七公尺之鋼筋混凝土橋・・・・」と。大理石製、後年強度補強の為朱色の鉄骨で補強されたとか。

これも大理石製獅子、左側に上記の慈母橋由来記のプレートが。



東屋、慈母橋がよく見える展望台?。

上記の東屋からの慈母橋

立霧溪?
写真の順番ごちゃごちゃです、悪しからず。

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