与那国島(人口減らしの悲劇)
人頭税による人減らしの方策として行われた悲劇の遺跡です。
一つは
この負の遺産は後年取りつぶされ現在は形としては残ってません。この辺りだろうと言う場所はあるみたいですが。
あと一つは
その昔妊婦を集めて、この割れ目を飛び越させて、上手く飛び越えられたものだけが生きて出産することが出来た。飛び越えても腹を強打し流産する物も多かったとか。現場を見てみるとこの割れ目私には絶対飛び越えられないと思ったね。
これも本来は残したく無かったらしいが、自然の物故ママならず、やむなく残したと観光タクシーの解説だった。
側に立ってる人影と比較シテください。妊婦が飛び越えるのは至難の業と思えませんか。
この人頭税に絡む悲劇は天候の変化の受けやすい八重山、宮古地方が特に大変であったと件の観光タクシーの話です。
悲しい1600年代の歴史の一コマです。
因みに一人当たりの年貢額は男は米1石八升、女は上布など五反。
その義務を果たすのに朝から夜中まで働いても納期には間に合わなかったと。
この過酷な税制は信じがたい事に明治36年(1903年)の地租条例発布まで続いた。明治政府は国家基盤整備のため離島の事など斟酌しなかった史実があるそうな。
因みに人頭税の基準は身長140cm以上が対象となった。
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