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2011/03/31

宮古島(伊良部島=佐和田の浜)

前に書いた海岸に転がった岩石の由来は、明和の大津波で石垣島から流されて来たとの伝承があるようですが、石垣島、宮古島間は133kmも有るのです。
その距離をこれだけの数の岩石が宮古島に押し寄せた訳ですから、明和の大津波は相当に大きなものだったのでしょうね。
マグニチュード7.4位と推測されてるようですが、本当のことは判らないのが実情で色んなシミュレーションの結果マグニチュード8位の津波大地震が起こった可能性が高いと言われてるようです。
津波の波高も40m位と言われてる。
因みに近年の奥尻島の津波の波高は30.6mだとか。
その大きさが判ると思います。

佐和田の浜です、東平安名崎ほどダイナミックではありません。.









この辺りは遠浅ですから余計にゴロゴロ見えるのですが、我が田舎の海岸見慣れた者には異様な光景に思えるのです。

自然の力は侮れない、少しばかり侮ったお陰でTEPCOは福島で取り返しの付かない状況に立ち入ってる。

ロイターのリポート読むとTEPCOも政府もアクシデント・マネズメントが不十分と、原災法自体原発が住民の避難や屋内退避をどのようにするかが主であって制御不能になる状況を想定して無いとも。
まぁ長年に亘る前政権時代の産物ですが。


明和の時代はまだ逃げようがあったが、現在のこの手の二次災害は逃げようがないし目に見えないだけに質が悪い。
早く収束して欲しいが、原発のお陰で捜索すら出来ない状況が続いてるのは何とも気の毒なはなし。

少し話はそれましたが。




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2011/03/28

宮古島(伊良部島)

今ここは宮古島がら伊良部島を結ぶ橋が建設中です。
モビリティの向上、生活環境の向上、文化水準の向上、交流、物流の拡大支援、地域の活性化、観光資源の活用等々メリットの数々が踊ってます。
伊良部島の島民の便益に大いに役立つ架橋になるでしょうが、架橋による開発で島の自然が損なわれる、生活環境が変わる等の意見も少なく無いとか。


(フェリー乗船場の駐車場、宮古島へ通勤者の車です)

この島から宮古島に通勤する人もあり、そのために自宅から佐良浜港への車と高速旅客船に乗継いで宮古島に着いてからの仕事場までの車と2台の車を所有、そのための経済的負担は計り知れないものが有るとか。(フェリーでの通勤は軽四で往復2000円、普通車で3000円かかる)
更に、夜間(フェリーの運行はない)病人が出ると船をチャーターしないと、どうにもならなかった緊急患者と家族は確実に1万円強の出費を強いられる。
これらは確実に、架橋による生活環境の向上で救われる部分で有りましょうね。
島民にとっては安心感は最大のメリットかも知れませんね。

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2011/03/25

宮古島(東平安名崎その2)

岬には灯台があります。
初点灯は昭和42年3月、当初は東平安名崎灯台と言われたが昭和47年5月日本復帰に伴って平安名崎灯台に変更された。
地上からの高さ24㍍、海抜43㍍。

ここは潮岬灯台と同じく、頂上まで螺旋階段グルグル回って上がれるのです。

場所柄、付近には何も無いので眺望頗るよろしい。





灯台から宮古島を望む。
ご覧の通り宮古島は山と呼べる程の物は無いので平坦に見えます。
海底が隆起して出来た琉球石灰岩の島ですからハブはいないのです。




浜辺にゴロゴロと転がる岩石は、明和の大津波で石垣島から流されてきた物だそうです。

宮古島のアチコチで見られます。
写真の上部うっすらと青い帯状、何んだか判りますか?
写真↓の説明が答えです。

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2011/03/23

宮古島(東平安名崎その1)

宮古島の東の端っこにある岬です。
紺碧の海に2kmにわたって突き出た美しい岬で、日本百景の一つに数えられる宮古島を代表する観光地です。
3月上旬と言うことでテッポウユリにはいささか早くて、その絶景は見ることができませんでした。

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2011/03/21

宮古島(便利グッズ)

現像して見なければ上手く撮れてるか判らなかったフィルムカメラと違ってデジタルカメラは撮ればすぐ確認出来き、失敗も判って撮りなおしが効くので便利になった。
お陰で随分無駄がなくなった。
何ぞと喜んでたら、息子の持ってるコンデジは撮影した場所まで地図に表示してくれると言うではないか。
何でもGPSと言う物がカメラに組み込まれていて時計がGPSと撮影時間にリンクしてるとか。
若者の持ち物は進んでる。
おっさんのコンデジもデジイチも人間と同じで古いからそんな機能どころか、動画さえも撮れない。
撮影場所が地図上に表示される、これは便利でしょう。
旅行に行って撮りだめた写真、帰ってPCで整理をしようとしても年のせいか何処で撮ったのか全く思い出せない写真がゴマンと出てくるのです。

捜せば有るのですね、外付けのGPS擬きが。
しかもお値段リーズナブル、財布に優しい。
但し、外付けでありますからGPS組み込みカメラは写真とGPS時間が1個の時計で同期できますので地図上の位置と写真は一致します。
外付けは各々に時計があるため双方の時計を合わす必要があります。
それほど上等の時計が組み込まれてる訳では無いので油断するとお互い好き勝手な時間を表示するため、地図上にズレが生じます。
ただ、ズレが生じても何処で撮った物かは凡そで判断はできます(それほど大層にズレる訳ではないですから)。
時間合わせは気を付ければ回避出来ますし、出来なければ自己責任でありますな。
なんやかや前置きはこれ位で、使ってみました。
ちゃんとgoogle mapと同期出来ましたよ。
思ったより簡単だが建物に入ったらまめにオンオフやらないと電池切れを起こす可能性があり。

これからも旅に出るときは持って行こうぞ。
帰ってからの整理が捗るし、何処で撮ったか何て悩む回数が確実に減りますから。



良い年して、すぐこんな物欲しがるのは何故なんでしょうね。
物欲は年齢とは関係無いのです。

宮古島はこれに基づいてボチボチUPしてゆきます。


宮古島観光協会制定ロゴを拝借した

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2011/03/17

石垣島(諸々)


アンガマは旧盆に行われる行事で、元来は士族階級の行事であったが、明治以降農民にも広がり今も島の青年会によって受け継がれている。
このアンガマの魅力は何をとってもユニークさだとか。
先祖を供養すると言うと堅苦しく思うが、基本的には笑えるんだって。
南の島はオープンなのである。誰もが自由に見学出来ると言う。
この行事が行われる地区は石垣市石垣、大川、登野城、新川、平得、大浜の6つの地域。
アンガマが訪問する家を捜すにはどうするか。
地元発行の新聞を読む。
青年会のアンガマスケジュールが一軒一軒訪問する世帯や氏名までが掲載される。
掲載は旧盆の直前に沖縄らしく本当に直前らしい。
アンガマが登場すると、すぐ家に上がりウシュマイとウミーがまず仏壇にウートートー、その後ウシュマイとウミーが踊り、唄が披露される。
これは子孫繁栄と豊作を祈る念仏謡で方言で行われるからまずもって、よそ者には判らない。
アンガマは顔を見せないのはこの世の人で無いから仮装しないといけないらしい。
何故アンガマの話かと言うと730交差点から離島ターミナルにかけてのメインストリートに東屋擬きの休憩所が所々設置されてありそこの壁にレリーフとして描かれてるのが上の写真、ウシュマイ(オジイ)ウミー(オバア)なのです。



石垣から本土への距離、結構あるんですね。遠いはずだよ、おいそれとは行けぬねぇ。



白昼の繁華街、何故か飲食業が多いから昼間はお静かでありました。



行った時はまだロッテがキャンプ中で、至る所「めざせ日本一」の応援看板が



夜も更けるとかんな感じで明るくそれなりに賑やかで、三線の音が聞こえてきます。

そう言やここは「夏川りみ」だの「ビギン」や「大島保克」の出身地だ。
「涙そうそう」が聞こえてきたが「夏川りみ」ではなかった。
以前来たときは、イヤと言うほど流れてた「夏川りみ」や「ビギン」は何処に行ったんだろう。
ビギンの実家はまだ土建屋さんと民宿やってるんだろうかね。



第3種空港では日本で二番目の乗降客数を誇る石垣空港、年間150万人強とか。
その割にはショボイが滑走路2000㍍の新空港開港まで後700余日だって。

石垣の項オシマイ、次ぎ先日行って来た宮古島です。

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2011/03/16

石垣島(石垣市街)

お土産を買おうと以前行ったことのある「あやぱにモール」に行った。
あれッ!と思ったよ、公設市場のあるモールの名が「ユーグレナモール」と言う名に変わってた。
日本最南端の商店街が、何で「夕暮れ」なんやと。
どうも落ち着かなかった。
聞くところに因るとモールの命名権をユーグレナなる会社に売却したんだと。
商店街の命名権譲渡は日本初とも聞いた。
理由を聞くと、何処の商店街と同じ悩みを抱えてるのです。
そう、アーケードだの色んな設備が借金と言う重しになって、その負担軽減のための窮余の策だったようです。
寂しい話ですね。
話は飛びましたが、このモールに石垣市特産品販売センターがあって色んな八重山の産品が入手できます。
我が愛するガーデンパナの商品も置いてあります。
石垣のおみやげに悩んだらここに行くべし。



あやぱにモールの由来は1988年アーケード建設時公募で命名された。
「あやぱに」と言う名は八重山民謡の「鷲ぬ鳥節」の歌詞の一節からとられたとか↓。
綾羽(あやぱに)ば 生らしょうり
ぶぃる羽ば 産だしょり
バスィヌトゥルィヤウ ニガユナバスィ
全く意味が判らないです。
そう言えば、モールの中程?に「鷲ぬ鳥節」発祥の地なんてありましたね。
そんな由緒のある名をイトも簡単に変えられるものなんでしょうかな。
とは思う物の止むに止まれぬ状況が変更を受け入れざるを得なかったのでしょうね。



モールの近くの道路に描かれた模様、これはミンサー織りの伝統的パターンです。
八重山らしくて良いですね。



躍進と銘の入った冠鷲像。多分「あやぱに」にからんでるかもね。



あやぱにモール近場にある730交差点、石垣市街の中心にあります。
ナナサンマルの意味が判りませんでしたが、このモニュメントの説明でなるほどと。
これは1978年7月30日、右側通行から日本の道交法通りの左側通行に切り替わった日に由来する記念碑。
アメリカ世を忍ばせるモニュメントですね。

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2011/03/15

石垣島(離島桟橋)

石垣市美崎町に竹富町の役場があります。


竹富町役場

当初何故?と思ったのですが、竹富町は「竹富島」「西表島」「鳩間島」「小浜島」「黒島」「波照間島」「新城島」の7島から成り立っていて全ての島が離島航路で石垣島と結ばれています。


離島ターミナル↑


島々を結ぶ高速船、時速38-40knotでかっ飛ばすのです。
1knotは1,852㍍ですから車の速度に換算すると時速70km強ですよ。

しかし、竹富町を構成する島々の間には航路は無く例えば西表島に役場があった場合、波照間島から西表島に行こうとすれば、一旦石垣島に渡り船を乗り換えて西表島に向かう事になります。

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2011/03/14

石垣島(熊野権現)

1614年桃林寺と同時に創建された。
が1771年明和の津波で被害を受けたが、その後1786年再建された。
沖縄最古の木造建築(重文)
薬医門→拝殿→神殿と軸線上に建造されてる。
ご神体の宝鏡は琉球最古のものだそうです。



一直線に見通せる。薬医門、白木造りの拝殿、朱色の神殿です。



拝殿、室内に土間をとり込み、両脇に祭壇を配してる。



神殿、棟上に火焔宝珠を配し、竜頭等細部手法に特色を持つ。







沖縄独特の様式、本土の物とは趣を異にするようです。

おまけ
サンゴアブラギリ、赤い枝珊瑚に似てる。


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2011/03/12

石垣島(桃林寺)

薩摩藩が尚寧王に社寺を造れと進言(本当は命じたのでは)1614年造られたのが八重山地方最初の寺院の桃林寺。
そのとき合わせて造られたのが権現堂(これは後日)です。

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2011/03/11

石垣島(宮良殿内(みやらドゥンチ))

王府時代の建造物。
1819年八重山頭職宮良当演時代に建造、首里の貴族屋敷を真似た建築と言われてる。

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2011/03/10

石垣島(川平湾(かびらわん))

石垣島に来れば一度は見たい川平湾、真っ白い砂浜に光の加減によって7色に変化する海、湾内にぽっかり浮かぶ小さな島々。
ホーと見とれる程の美しさの川平湾、この美しさは見た人で無ければ判らない。
そうなんです、ミッシュラングリーンガイドで三つ星の景勝地でありますから。
潮流がきつくて遊泳禁止区域だが手軽に海に中が覗けるグラスボートあるのでサンゴや熱帯魚が観察出来ます。
川平公園として整備されてるので散策するのもまたよろしいですよ。
湾内では真珠の養殖も行われてる。

川平は古くからの歴史のある部落で伝統的な行事も盛んだと貰ったパンフに。
ただ、行った日は生憎の天気で、7色に変化する海を堪能すること叶わずでした。



川平観音堂、川平は八重山地方でも歴史は古い。川平湾は昔、首里王府への貢物を集積する三大港の一つで、石垣島から沖縄本島等へ向かう船の風待つ港であった。
川平湾を見渡す小高い丘に建つ川平観音堂は17世紀中頃に創建されたと伝えられている。創建された経緯がある様ですが聞き漏らした。















川平湾の美しさは余り伝え切れてないけれど、海の色だけは何とか・・・・と思いたい。
離島桟橋近くのバスターミナルから川平行きのバスが出てる。
川平着30分後に、バスターミナル行きとなって折り返し運転される。
一般的にはこのケースで、川平湾眺めて帰って行く。
日本百景の景勝地が、30分という少ない時間で去って行くのはもったいない気がするが人の事は言えない。
かく言う私もこの手の一人であったから。

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2011/03/09

与那国島(おまけ)

終わりのつもりがおまけ一つ。
資生堂ご寵愛の長命草、与那国では栽培でなく己生えで、そこかしこに自生してる植物です。
だから島民の皆さん、そこいらから適当に採って調理だの薬草として古くから使われていたのだと与那国空港の旅果報だったか忘れたがそのようなことを聞いた。
その効能に目を付けたかどうかは知りませんが、資生堂がこの地の長命草を大量に引き取って呉れることになり、自生から栽培に乗り出す農家(専業か兼業かは知らない)が出てきて、黍畑から長命草に切り替える動きがあると観光タクシーのドライバーの話でした。

聞いた話ではサトウキビ6t位で15万円程度だそうです。
サトウキビ刈り取るまでほぼ2年懸かるとか。
それにサトウキビって根元の方が曲がってまっすぐ生えないので刈り取りがこれまた大変と。
その上、葉っぱだの余分な部分をとってサトウキビ本体のみにしなくてはいけないし結構重労働で、尚且つ刈り取りは自己の都合でなく、製糖工場の製造の都合に合わせなくてはいけない。
刈り取り指定日が雨だろうと斟酌はして呉れない。
更に、製糖工場は年中稼働してる訳ではなくシーズンの季節稼働ですから、その時期に刈り取って納入しなければお金にならない。
そこに長命草の話、栽培も黍から比べると楽だから気持ち動くのも判る気がする。
ただ、サトウキビ栽培はこの島の基幹農業ですから、こぞって転作なんて事になるとこれまた大変だしね。
長命草がいつまで続くのか未知数だし。
何れにしても見極めが大事ですね。
易きに流れると怪我するのは農家ですから。

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2011/03/05

与那国島(祖内)

与那国町祖内(そない)は同町の中心地で与那国町役場や診療所(志木那島診療所ではありません、本物も医師1人だとか)などがほとんど祖内のエリアに集中している。
昔ながらの赤瓦屋根の民家と石垣が残る与那国の中心集落で、同町の人口の約60%強を占めています。
ナンタ浜やティンダバナ、湧水を源流とする野生生物の宝庫、田原川など自然の美しい地区です。

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2011/03/03

西崎(いりざき)その2

久部良の高台にあるだけに久部良の集落が一望できます。



与那国町は3つの集落で構成され、一番人口の少ないのが比川部落です。
ここのメイン観光施設はDR.コトー診療所であります。
詳しい資料はありませんが与那国町の人口の10%程度と聞きました。

日本最西端の久部良部落は約30%程度と。
久部良港は石垣島と与那国島を繋ぐフェリーの着く港でも有りますし、カジキ釣や漁業の漁港でもあります。
国境の港でありますから海上保安庁の巡視艇も常駐してますし税関の与那国監視署もあります。



海底遺跡(学術的には確認されてないようですが、素人目にはどう見ても人工的に造られたとしか思えない)見学用のグラスボートも久部良の港から出てます。
結構天候に左右されるようです。
ここは人気のダイビングスポットでもあります。時間的にゆとりがありませんでしたのでグラスボートに乗ることは出来ませんでした。今度行く機会に恵まれたら2、3日島に滞在してじっくり見たいものです。



西崎では超幸運に恵まれると台湾が見えるのですが、年に何回有るかの確率です。
見える日は町内放送がある位ですから、ふらり訪れる旅人がすんなり見られるのは難しいですね。
私の感覚では冬空気が澄んで見える確立が高いと思うのですが,与那国空港のレストラン旅果報(たびかふう)のママの話では夏から秋にかけてが見える確率が高いと。
観光タクシーのドライバーの話では冬はモヤが多くて却って見えないんだよ、なんて話でした。
西崎の展望台に台湾が見えたときの様子が描かれてましたが、結構ハッキリと見える事も有るのですね。
旅果報にも同じようにクッキリ見えた写真のパネルが懸かってましたが素人にはこれ程綺麗には撮れないでしょう。
プロが撮ったような話でした。
余談ですがここで食べた長命草入りソバ(ざるそばみたいだった)氷がバンバン載かって冷や冷やで美味しかった。
沖縄辺りの食堂で食べるとやたら量が多くて辟易するけれど、ここは丁度良かった。

今ここでは長命草の栽培ブームで、黍畑が長命草の栽培に変わってるんだと言ってた。
仕掛け人はここ全量引き取って呉れる様な事を言ってた。
ホームページにアクセスするとちゃんと与那国島の風景のサワリが楽しめますよ。


おまけ
今年は吾が住まいの地にも何十年ぶりかに積雪があった。
積雪計が設置されてない、若しくは気象台から委託もされてない県が日本で2ケ所だけなんだそうです。1ケ所は沖縄、亜熱帯だから当然だが、残り1ケ所何処だと思いますか?
何と和歌山県です。先般の積雪6cmは気象台の職員が気象台の構内で物指しで計ったんだそうです。




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2011/03/01

与那国島(西崎(いりざき)その1)

沖縄地方は全てがそうなのかは知りませんが八重山諸島辺りでは東西南北を東を「あがり」西を「いり」南を「ふぇー」北を「いり」とよむのです。
「あがり」、「いり」は太陽の日没にからんでるのは聞いたことがあるのですが「ふぇー」と「にし」は語源知りません。
波照間島に行ったとき北浜(にしのはま)の表記を本土の人に判りやすく書いたのか混乱したのか知らないが「西浜」と書いてあってアララと思った記憶があります。
前置きが長くなりましたが久部良部落の高台に西崎があります。
ここには灯台もあって展望台もある日本国最西端の地であります。

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