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2011/05/31

おっさん煙になるの巻(その1神戸市役所)

東京タワーに去年初めて上って高所の眺望に魅せられ、ついでに都庁の45階の展望室で都内を眺めても見た。
何とかと煙は高い所に・・・・味を覚えるとクセになりますよ。
大阪ではナニワのエッフェル塔(初代通天閣の下半身がエッフェル塔にそっくりだった事によってナニワのエッフェル塔と言われてたらしい)と呼ばる通天閣にも上って見ました、これも初登頂でありました。

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2011/05/29

神戸京町界隈(旧居留地)

目的は神戸市立博物館ですが、ここ京町は旧居留地でもあります。

神戸市立博物館、後方はオリエンタルホテル(17F)

神戸市立博物館正面エントランス

最近神戸へは難波から直接来れるようになり、随分便利になりました。
和歌山の阪神ファンは喜んでますよ。
今回は大英博物館古代ギリシャ展ー究極の身体・完全なる美ーが目的でした。
円盤投げ(ディスコポロス)しっかりこの目で見てきた。
「究極の身体、完全なる美」とある通りでした。
ギリシャ彫刻ってこれに限らず一糸まとわずが多いのね。
競技をする選手たち全てオールヌード、それがルールなのか、それとも武器を持って無いよの証しなのでしょうか。
でも、身体の割にはlollypopみたいで可愛かったがリアルだと芸術を超越してしまうかもね。
ところで、会場では海洋堂のフィギュアが売ってたが小さくても結構なお値段でありました。
食指は動きかけたのですが、誰かの顔が浮かんだのでヤメにしました。
最近は、思いとどまる事を覚えましたよ。
海洋堂のHPでは売り切れゴメンの2000個限定とありましたが・・・・。

㊧カフェ・ド神戸居留地15番舘㊨市立博物館

この辺り高層建築が多い。
左からKDC神戸ビル(14F)+ベイウイング神戸ビル(15F)、ライオンズタワー神戸旧居留地(27F)、正面アーバンライフ神戸三宮ザ・タワー(34F)、関西電力(18F)、右手前NTT(24F)何れも震災後に建築された物ゆえ綺麗な建物です。

エディー・バウアーのショップが目について入ってしまった。
買わなくても良いTシャツ2枚買ってしまった。
フィギュア買うの思いとどまったのに、これでは何をしてるか判らんが人間は矛盾に満ちた生物ゆえ致し方なし。

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2011/05/26

祇園界隈

この辺り八坂神社、円山公園、少し離れて知恩院や高台寺があります。
八坂神社は「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたが神仏判然令により八坂神社と改められた。
かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれる。

ご存じの祇園祭(7/1~7/31)が有名ですね。
正面、西楼門は重文ですが八坂神社の正門ではないようです

この建物何なのか判りませんが傾いて見えるのです、側で見ると何てこと無いのですが目の錯覚みたいです。

龍池山大雲院の祇園閣

高台寺山門、時間が遅かったので高台寺の拝観はクローズであった

高台寺霊山観音

ねねの道と呼ぶのは秀吉の正妻ねねの縁の寺、高台寺と園徳院があるところからだとか

高台寺後方の山の色が鮮やかだった

八坂神社楼門の前面四条通

花見小路通、お茶屋や料亭が軒を連ねる京都を代表する通りです
お茶屋や料亭は用事が無いが京都と言えば祇園花見小路と来ますから一見の価値はありますよ

別に宣伝する訳ではありませんが妙に目立ったもので。
そう言えば、この近くに一澤帆布と信三郎帆布で相続を巡って骨肉の争いを演じた信三郎帆布(現在は勝訴した信三郎が元の一澤帆布に戻って営業してる)があります

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2011/05/24

京堀川通り界隈

目に付くのは、本願寺(西本願寺)と隣で小さくなってる興正寺とこのお寺の正面にある漬物の西利でしょうか。
本願寺の中まで入る時間が無かったので外周だけ。
しかし、大きなお寺さんだ。

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2011/05/22

葵祭その3(行列後半)

今年の斎王代は金井志帆さん。
原則在京20代の未婚女性から選ばれるが、この斎王代は一般受付窓口は存在せず京都縁の寺社、文化人、実業家などの令嬢が選ばれる。
良くも悪くも京都らしいです。
舞妓さんのお姉さんも言ってたが、お家柄を言うらしい。
密室?で密かに選考されるのかな。
歴代斎王代はこちらをご覧ください、そうそうたるお家柄が多い。







第56代斎王代、本当は綺麗な方なんでしょうが独特の化粧で良く判らなかった

女性群です、女人列と言いますがそれぞれに名称があるようで

騎女(むなのりおんな)



牛車、パンフレット等で良く見掛けますよね。
俗に御所車と言われ平安朝以来乗用車として用いられたもので、これは勅使の乗用のもので行列を立派にするため引き出されたもの。

これで行列はお終いです

こんな木々の中を歩くのです。
森林浴も出来たが花粉症もぶり返した。
それを差し引いても伝統の行事です、雅でよろしかった。
今度は暑いが祇園祭に行こうぞ。

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2011/05/20

京都 葵祭 その2(行列前半)

祭の起源は、今から約1400年前欽明天皇の頃に凶作が続いたため、賀茂皇大神能宗敬者であった卜部伊吉若日子を勅使として、4月中酉の日に馬に鈴をつけ、人に猪頭をかぶらせてこれを走らせ祭礼を行ったところ、風雨はやみ五穀は豐に実り国民も安泰になったという。その後、時代と共に盛衰があったが、明治17年旧儀に再興され、祭日も5月15日に定められた。
賀茂祭が広く葵祭と称せられるようになったのは、江戸時代の元禄7年の再興以降と思われ、当日は内裏宸殿の御簾をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたる全て葵の葉でかざるところからこの名があるとされる。
(京都市観光協会発行の葵祭の栞から抜粋)





載尻(のりじり)、行列を先導する







風流傘、重そうだった、一人で持ってるしね。止まって写真撮らしてくれたよ。
しかし、このお方ここでVサインするとは思はなかったよ。

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2011/05/18

京都葵祭(その1)

京都の伝統を誇る三大祭の一つ賀茂祭(江戸時代に葵祭と称されるようになった)ですが、何時でも行ける距離に居ながら今まで行ったことが無いのです。
行ってみたい気持ちはあったのですが、人出が余りにも多いので行くのを躊躇していました。
幸いにも今回機会に恵まれたので重い?腰を上げたのであります。
休日ですから渋滞を恐れて早めにと11時頃に下鴨神社に着いた。
遅くなると通行止めになり指定観覧席にたどり着けない等と脅され早々と着席した。
しかし予定表見ると我が観覧席前通過は11時40分過ぎと書かれてあった。
鬱蒼たるもみじや欅の茂みの中で、上から花粉みたいなのが風に吹かれてさわさわ落ちて来るし、収ってた花粉症が頭を擡げて来るわ、朝早かったのひもじくなって来るわで有りました。
しかも有料観覧席、神社の参道の路肩に設えられてるため足場は悪いのです。
前、中、後と3列に折りたたみ椅子が置かれてそれぞれに傾斜があって座りづらいのです。
前席は前下がり、中はフラット、後席は後ろ下がりと。
若い人なら順応性有りましょうが、爺婆には頗る安定悪くヨタヨタ。
私たちは真ん中の席でしたからフラットで人の不幸を楽しんだのですが。
まぁ、何れも神の思し召しと思って・・・・・我慢しましょうね。
ここは神のおわす領域ですからね。

立派なもみじの木です、秋に来れば見事な紅葉が楽しめそうです。
来て見たい。

有料観覧席、ご覧の足下、落ち葉が積もってフワフワで不安定でした

無料観覧席、前に「瀬見の小川」が流れてるため参道の近くには寄れないのです。





鳥居から先へは入れませんので覗き見した楼門です。この奥で社頭の儀が行われるが、これを見てると帰る時間が遅くなるので今回は予定に無かった

葵祭行列が通る参道、一等席は有料です。
下鴨神社、ここは世界遺産だそうです。知りませんでした。
この前を葵祭の行列が通過するのですが到着前と言う事で観覧席に向かう観光客がウロウロしてた。




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2011/05/16

とある日のランチ

時にはこういうのも宜しかろうと京は木屋町の「京料理梅むら」へ。
生憎、夏の京名物鴨川の納涼床での食事と言う訳には行かなかった。

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2011/05/05

宮古島(絶世の美女マムヤの話)




マムヤの墓がある洞窟、奥にマムヤと思しき美女の絵が飾られてる。

マムヤの話は観光バスのドライバー兼ガイド(下手なガイドより親切丁寧だった)が丁寧に説明してくれた。
聞いた話を書こうと思ったが途切れ途切れの記憶故バス会社の資料から転載させて貰った。
昔、保良村(現宮古島市保良)にマムヤという、それはそれは美しい娘がおりました。
マムヤは余りの美しさのため、村の若者を始め、近郷近在の男達がマムヤを一目見ようと人垣を作った程であったと言われてる。
ある日、野城の按司、崎山の坊と言う人が魚釣りにこと寄せてマムヤに逢うことが出来ました。
野城の按司と言えば、当時一国一城の主として今の城辺地方を治めていた人であります。
彼は妻も子も有りながら、マムヤに言い寄って来たのであります。
マムヤもだまされていることも知らず、野城の按司、崎山の坊に身を許すようになりました。
ある日のこと、崎山の坊はマムヤを連れておじさんの家を訪れ、マムヤの美しさを自慢いたしました。
おじさん、私の妻はしょうべんの匂いがするが、どうですか?マムヤの匂いは香水の匂いだと自慢したのだそうです。
するとおじさんは、崎山の坊を諭して言われました。
「今はマムヤの方が良いかもしれないが、年が経つにつれて子供の母親である君の妻のほうが良いと言う事に気がつくはずだ」と。
このやりとりを聞いてしまったマムヤは、自分がだまされていることに気が付きおじさんの家を飛び出して東平安名岬へ身をかくしてしまいました。
マムヤは傷心のまま、東平安名岬の洞窟に身をかくしその中で機を織って一人暮らしたと言う事であります。
野城の按司は、マムヤの事が忘れられず、毎日毎日マムヤを捜して東平安名崎をさまよい歩いたのでございました。
そして機を織る音を聞きつけて北側の岸壁に立ちますと、音は下から聞こえてくるのです。
下に下りてみると、今度は上から聞こえて来るのです。
不思議に思って探し回るうちに、とうとう崖の中腹にある洞窟の中に機を織ってるマムヤを見つけました。
マムヤは二度と会うまいと思ってた人に見つけられ、もはやこれまでと崖の上から身を投げたと言う事です。
そのときマムヤが身に付けていた衣が岩の端にひっかって、北風が吹くと南になびき南風が吹くと北になびいて人々の哀れをさそったと言うことです。
その後野城の按司、崎山の坊は泣き泣き暮らして政治を怠り、野城に栄えた城も滅びてしまったと申します。
マムヤが身を投げて死ぬとき、自分が美しさ故に味わった不幸せを、さめて村の娘達には味合わせたくないと思い、この保良村には、美しい娘が生まれないようにと神に祈って身を投げたと言う事であります。
そのため保良村には美しい娘が生まれないと言い伝えられてるが、イヤイヤ保良村は宮古でも一番美しい娘さんの多いところです。
それではマムヤの願いは叶えられなかったと言うと、そうではありません。
マムヤはその呪いをかけた後、ただ一つ呪いのよけ方の方法を残したと言われております。
それは、この東平安名岬の芝生の窪みにたまった水に満月を浮かべて光り輝いている時に、妊婦がその水を手ですくって飲むとマムヤの呪いは全て消え去ると言う事です。
きっと保良村のおかあさん達は、満月の夜我が子が美しくあれと祈って、この東平安名岬で月を浮かべた美しい自然の水を飲んでいることでしょう。

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